ハイクラス転職のクライス&カンパニー

チャンスは「まだ誰もできていないこと」にある 専業主婦からクックパッドの執行役へ

公開日:2013.12.16

専業主婦からアルバイトのウェブディレクター、そしてクックパッドの執行役へ。小竹貴子さんはそんな異例のキャリアの持ち主である。キャリアを切り開く過程で小竹さんはどんな価値観を大切にし、どのように決断を下していったのだろうか。現在は独立し、料理や食に関するウェブサイトの構築やマーケティング支援など、「世の中に『料理の楽しさ』をもっと伝える」ことをミッションとした活動を幅広く行っている小竹さんにお話をうかがった。
小竹貴子氏のプロフィール写真

小竹 貴子 氏プロフィール

フードエディター

1972年、石川県金沢市に生まれる。 関西学院大学社会学部卒業後、株式会社博報堂アイ・スタジオにてwebディレクターとして経験を積み、2004年有限会社コイン(現クックパッド株式会社)へ入社。編集部門長を経て2008年執行役に就任。その活躍は社外でも注目を浴び、2010年「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2011」を受賞。2012年に独立。現在は料理や食に取り組むサービスの構築支援および編集業務を行う。世の中に「料理をすることの楽しさ」を伝えることをミッションとして活躍中。2児の母。

著書

Message

志あるハイクラス転職を、クライスと クライス&カンパニー

Interview

未経験からウェブディレクターに転身できた理由とは?

――
小竹さんのキャリアのスタートはどんなものでしたか。
小竹

私は神戸にある関西学院大学を卒業したのですがちょうどバブル景気が崩壊した後で、なおかつ大学三年生のときに阪神・淡路大震災があり、本当に就職先が全然ない状況でした。最初の就職先は、そんななかでなんとか潜り込んだ銀行系のリース会社です。当時は震災復興で大変な時期で、言われるがまま馬車馬のように働いたところ、入社した年の12月に体調を崩してしまい、年明けには親に強制的に辞めさせられ故郷の金沢へ帰りました。私としてははじめての仕事で、つらいながらも神戸の震災復興を助けたいという思いで働いていたので、すっかり仕事にも自分にも自信をなくしてしまいました。

――
キャリアの最初で大きなつまずきがあったのですね。
小竹

金沢では知り合いの伝手で大学教授の秘書を1年半くらいやった後に結婚し、東京へ移り住み専業主婦になりました。当初は専業主婦の生活を楽しもうと思っていたのですが、周囲の友人は20代半ばでみんな仕事が楽しくなってくる頃でした。なんとなく専業主婦生活に不満を感じて派遣社員や近くのパスタ屋さんのアルバイトをはじめ、その給料は何か仕事に役立ちそうなことに使うのがいいと思い、専門学校のウェブディレクターコースに通い始めました。そこではじめてインターネットに触れたんです。

――
ネットの世界で活躍する小竹さんですが、ネットデビューは意外と遅かったと。
小竹

何も知らないだけにいろいろなことが新鮮でした。昔から料理が好きだったので、専門学校の卒業試験では自分が撮影した料理写真のホームページをつくったところ、日本だけでなく香港からも「美味しそう!」というコメントがきたんです。そのとき、「自分の作品を発表して褒めてもらえるんだ!」とインターネットの楽しみに気付きました。そしてウェブ制作会社に就職したのですが、最初は何の経験もなかったので社長秘書としての入社でした。でも20人くらいの会社だったので自分から進み出ればいろんな仕事をできるチャンスがあって、社長の目を盗んでちょこちょこと制作のお手伝いをしていたら「それなら専任でやっていたら」という周りの後押しがあってウェブディレクターになりました。その頃、私がつくっていたのはレースクイーンの壁紙コンテンツで、ちょっと胸の谷間を画像加工するだけで売上が10万円上がったり(笑)。そうやって自分の仕事でお金を稼ぐという感覚をリアルに感じられたのもそのときでした。

――
その後、小竹さんはウェブ制作会社から博報堂アイ・スタジオに転職されています。そのきっかけは何でしたか。
小竹

やはりもう少し広く学び、チャレンジしてもいいのではないか、と思っていたときに、仕事でお付き合いのあったライターさんから「アルバイトを募集しているのでどうか」と声をかけてもらったんです。当時はインターネット広告花盛りで、新しい技術が飛び交っている環境のなかにいるだけで勉強になりました。20代のときに自分ができなかったことがやっとできるようになったという感じで、本当に楽しくお金をいただきながら修行しているような状態で、よい上司にも恵まれてアルバイトから社員へというステップを踏むこともできました。ただ、仕事にのめり込み過ぎて離婚することにもなったのですが、落ち込むより「思い切り仕事ができる」という気持ちのほうが大きかったですね

重要なのは給料より新しく学べる環境と仲間

重要なのは給料より新しく学べる環境と仲間

――
博報堂アイ・スタジオからクックパッドに転職したきっかけは何ですか。
小竹

2003年に友人から「面白いサイトがある」と紹介されてお会いしたのがクックパッドのファウンダー、佐野陽光さんでした。会った途端「いつから来るの?」と言われ、その2、3日後にも会社に電話があって「いま、会社の下にいるんだけど話できない?」と誘っていただいて(笑)。実は博報堂アイ・スタジオとクックパッドを掛け持ちしていた時期が半年くらいあるのですが、クックパッドは危機的な状況にあるけれど頑張れば大きくなる可能性を秘めているのを理解したうえで、2004年に正式に入社しました。ちょうど私が30歳のときで、クックパッドも第二創業期を迎えていました。

写真
――
誰でも知っている大企業の子会社から、クックパッドという当時は誰も知らないベンチャーへの転職です。何が決め手だったのですか。
小竹

私自身、しっかりしたキャリアがあったわけではなく、周りを見ると博報堂から来ている優秀なクリエイターや、私より年下なのに飛び抜けた力を持つエンジニアがいて、30歳のいま、ずっとこの会社にいても将来はどうなるかわからない。だったら一か八かでクックパッドで頑張ってみるのもよいかなと思ったんです。

――
とはいえ給料など条件面は下がり、ベンチャーですから将来の不安はより大きいわけです。その点はどのように考えましたか。
小竹

私は博報堂アイ・スタジオに転職するときもクックパッドに転職するときも給料が下がっているんですね。クックパッドのときは20万円くらいから5万円になりましたが、まぁアルバイトをすればいいやと。実際、ホームページ制作のアルバイトで10万円くらい稼いでいました。それより、どちらの転職でも「学ばせてもらえてありがたい」という気持ちが先にあって、給料は下がるけど自分のなかではキャリアアップという意識でした。博報堂アイ・スタジオにアルバイトで入ったときは風呂、トイレ共同で月2万5000円の学生用下宿に住んでいましたが、まったく苦にならなかったですね(笑)。

――
クックパッドで働きたいと思った魅力はどこにありましたか。
小竹

佐野さんの「世の中はインターネットで変わっていく」という話が腹落ちしたことが一つ。そして、クックパッドが佐野さんの描くビジョンの方向に成長するとしたら、自分がその過程に携われるのは本当に幸せなことだろうなと感じたんです。なにしろ、料理が楽しみになる人がどんどん増える世の中を自分がつくっていけるんですから。その頃のクックパッドは全然売上がなくて、私の給料の5万円すらどこから出ているのかわからないような状況でしたが、自分で決断し、自分で動かなければ誰もやってくれないという環境に自分の身を置くのは誰にでもできることではなく、とてもワクワクしました。もしうまくいかなくても、まだ30歳だったので他の会社を探せばいいだけですし。

――
一緒に働く人たちという視点で見ると、クックパッドはいかがでしたか。
小竹

当時のITバブルという状況で「それでどのくらい儲かるか」という話をする人がネット業界には多かったのですが、佐野さんは「テクノロジーを使って世の中を変える」という話をしていた唯一の人、という記憶があります。実はクックパッド以外からも「うちを手伝って」と声をかけられていたのですが、そのなかからクックパッドを選んだのは「毎日の料理を楽しみにすることで、心からの笑顔を増やす」という経営理念が私のなかでしっくりきたのが大きかったです。私の後に入ってきた初期のメンバーも経営理念に惹かれて入社した人たちで、なおかつ世の中を変えてちゃんと収益の出る会社に成長できると信じていました。その頃はどうやったら料理が楽しくなるだろう、どうすれば料理をする人が一人でも増えるだろうという話をみんなで四六時中していました。そういう熱い話を気負いなくできる仲間に30代前半で出会えたのは本当によかったと思います。

意志決定はすぐに!自分がワクワクする方向へ動く

意志決定はすぐに!自分がワクワクする方向へ動く

――
クックパッドの成長とともに小竹さんは08年、執行役に就任し、12年に退社し現在は独立し個人としてご活躍されています。独立のきっかけは何でしたか。
小竹

私は06年に結婚し、09年にクックパッドが上場するのと同じくらいのタイミングで出産したんです。そして3か月半で復帰して編集部門長と社長室室長を兼務しました。急に組織が大きくなったので会社のミッションやビジョンをもっと言語化し、社内制度を整えることと、新規事業の担当者の面倒を見るといったことが社長室での仕事でした。そこでよくメディアで取り上げられる「まかない制度」やその人のお勧めレシピを掲載した社員の名刺をつくったりしたんですが、初めての育児と執行役の両立がプレッシャーでうまくできず、モヤモヤしている時期が1年くらいありました。たとえば私は5時に退社しないといけないけれど、営業の社員が帰社するのが5時以降ですれ違ってしまう、というように、自分都合で周りを動かすことになんとなく遠慮してしまい、悶々と苦しむことが増えたんです。気が付くと周りに気をつかいすぎて自分自身のリズムを見失い、それまではユーザーやクライアントを盛り上げたい気持ちで外を向いて仕事をしていたのに、自分を向いて仕事をするようになっていました。そこでいったんリセットするために執行役を降り、その一年後にクックパッドを卒業しました。荒っぽい選択かもしれませんが、40歳になってもう一度新たなチャレンジをするなら今だ、という思いもありました。

――
独立した後のビジョンはどのように描いていたのですか。
小竹

実はあまり具体的には考えていなかったのが正直なところです。クックパッドにいたときの同僚で、その後ぐるなびに移られた方から声をかけていただき、シェフが家庭で料理をするための楽しさを伝える「シェフごはん(http://www.chefgohan.com)」というサイトの編集をお手伝いするのが最初の仕事になりました。今は外食産業大手のグリーンハウスが運営している、食事を記録すると管理栄養士がアドバイスをくれるネットサービス「あすけん(http://www.asken.jp)」の事業成長のために、顧問をさせていただいています。また、きのこの会社であるホクトの社外取締役を務めているのですが、これもクックパッドからのご縁です。本当はゆるやかにいくつもりがけっこう忙しくなりましたが、どれも自分が心から信じるサービスですし、辞める前に悩んでいた悪い意味での遠慮がなくなりストレスフリーで仕事をしています。実は、古巣クックパッドでも最近仕事をスタートしました。

――
いろいろな決断の場面がありましたが、そこで大切にしてきたことはありますか。
小竹

すぐ決める、ですね。状況はいろいろ変わりますから、いいお話をいただいても1か月、2か月とウジウジしていたら他の人に取って代わられてしまいます。私自身に、何か天才的な才能もないですし、お話をいただいたときがまさに決める瞬間なのだろうといつも思っていました。意志決定は最終的に間違っていても仕方がないと割り切り、とにかく早く、直感にしたがって行うことが多いですね。それから、これは佐野さんの言葉でもあるのですが、「遠慮は悪」だと心から思っています。何もいいことはありません。私がクックパッドの執行役のときに周囲に遠慮して苦しくなったというお話をしましたが、辞めた後に他の役員たちと話してみると「成果で返してくれればいい」と皆思ってくれていたんですね。堂々と5時に帰り、その分しっかり面白いことをやって結果を出してくれればよかったのに一人で悩んでいたよね、と言われました。ただ、悩みを一人で解消するのは難しいと感じます。私のように辞めるという決断も一つですが、部署を変わるなど、環境を自分で変えるというのも悩みを解消するための一つのやり方だと思います。周囲は環境を変えてくれませんから、自分から環境を変えていく努力が大切です。

――
お話を伺っていると、小竹さんは「こっちのほうが楽しそうだ」という方向に動いていく方、という印象を受けました。
小竹

私は「まだ誰もできていないこと」「人がやりたがらないこと」のほうにチャンスがあると思っています。クックパッドへの転職でいえば、当時はレシピサイトで儲かるなんて誰も思っていなかったし、コミュニティサイトの運営は面倒で難しいと思われていました。ましてインターネットは男性の世界でした。でも、そんな時代から「キッチンで主婦がインターネットを使ってレシピを探すような文化を創る!」と佐野さんは言っていました。そういうことに私はワクワクしてしまうんですね。たしかにそんな直感に素直に従った生き方をしていると思います。そうして幸せを自分で引き寄せているのかもしれません。「面白くなさそうなことは何もしないよね」と言われちゃうこともありますけどね(笑)。

構成: 宮内健 
撮影: 上飯坂真

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

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インタビューを終えて

いつお会いしても輝く笑顔で精力的に活動されている小竹さん。今回あらためてお話をお伺いし、「Planned Happenstance Theory(※)」をまさに実践されている方という印象を強く持ちました。小竹さんの「すぐ決める」「ワクワクする方向へ」「うまくいかなくても他をさがせばいい」「自分から環境を変えていく努力をする」という行動原理はまさに同理論が示す生き方に合致するものと感じました。結局のところ、自分らしい生き方や働き方を手にできるかどうかは、自分自身のポリシー・スタンスによって決まるのだということを実感させていただきました。「幸せを自分で引き寄せているのかもしれない」と自然体で語る小竹さんに、とても素敵なエピソードをお聞かせいただけました。 ※計画的偶発性理論:スタンフォード大学J.D.クランボルツ教授らが提唱した「不確実な現代において、自分らしく生きるためのキャリア形成理論」

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