ラクスのプロダクトマネジメント組織は、まだ立ち上がったばかり。
及川
まずはラクスの企業概要と提供しているサービスについてご紹介いただけますか。
稲垣
ラクスは「ITサービスで企業の成長を継続的に支援します」という経営理念を掲げ、業務効率化クラウドサービスとIT技術者派遣の二つの事業を展開しています。売上比率としては業務効率化クラウドサービスが85%を占めており、バックオフィス業務に特化する「楽楽シリーズ」と業務効率化全般を支援する「ラクスサービス」で10製品を提供しています。
「楽楽シリーズ」は積極的にTVCMを放映しており、みなさんご覧になられたこともあるのではないでしょうか。このシリーズは、経費精算や請求書発行、勤怠管理などの業務効率化を支援しており、マルチプロダクトで基本的にベスト・オブ・ブリード型の製品形態であるとともに、 それぞれ製品のフェーズが異なっていることが大きな特徴です。
及川
続いて、稲垣さんご自身のお話をおうかがいしたいのですが、現在ラクスで担われている業務と、いままでの経歴を簡単に教えてください。
稲垣
私は現在、東京開発統括部の製品管理課のマネージャーを務めています。こちらは「楽楽シリーズ」にラインナップされる「楽楽精算」「楽楽明細」「楽楽電子保存」の3製品のプロダクトマネジメントを担う組織です。 私が入社したのは2021年8月ですが、製品管理課はそのタイミングで新たに立ち上がりました。それまでラクスにはプロダクトマネジメントの専任組織が開発側に存在せず、事業側にいわゆるPMM(プロダクトマーケティングマネージャー)の組織があり、こちらと開発側の最上流のメンバーが連携をとりながらプロダクトマネジメントを進めていました。
ただ、この形だとどうしても事業側がマーケティング寄り、営業寄りになって開発側に要求がしっかりと伝わらない状況が生じがちで、開発側がその要求をかなり咀嚼してなければならず、非常に負荷がかかっていたんですね。そこで当時の私の上司が、開発側にプロダクトマネジメント組織を置いたほうがよりスムーズに運営できると判断し、製品管理課が発足しました。リリースされて長く時間が経っている製品でしたので、開発の上流部分が足かせになると成長に支障が出るという問題意識もあり、このプロダクトマネジメント組織を率いるミッションを託されて参画した次第です。
私の経歴をお話ししますと、基本的にバックボーンはエンジニアです。新卒で入社したSIerで10年ほどPG、SE、PL、PMを経験し、主にWebサービス系やバックオフィス系のシステム開発を手がけましたが、やはり自社サービスのほうが私としては向いていると感じて転職。ファッション系のECサイトを運営する企業に入社し、その立ち上げから関わって開発責任者を務め、その後、企画やデザインも含めてサイト全体の責任者、さらに子会社化した後は役員に任命され、経営にも携わりました。役員は2年で退任し、その後はAWSで技術サポートのマネージャーを1年ほど務め、やはり製品開発を手がけたいとラクスに入社したのがこれまでの経歴です。
及川
稲垣さんはSIer時代にご自身で何かプロダクトを作りたいという思いが湧き、それがキャリアの軸になっているようにお見受けしました。
稲垣
おっしゃる通りで、SIerに在籍していた時は、こうあるべきだと最適な仕様を考えてもお客様の都合で要求が通らなかったり、納品したものの結果的に使われていないような場面に出くわすことが多く、残念な思いをよく味わっていました。やはり要求を出す側、製品を作る側のほうが、自分としてはモチベーションが高く開発に取り組めると感じて、自社サービスを手がける企業に転職したのです。
及川
もうひとつ、いままでのご経歴に関してご質問したいのですが、ファッションECサイトの開発からAWSの技術サポートに移られたのは、どのような理由からだったのでしょうか。
稲垣
ファッションECサイトの運営企業では、プロダクトの立ち上げからグロースするまで開発責任者として関わり、8年ほどで売上250億円にまで成長させました。その時点でやり切った感があり、また、その過程で事業視点や顧客視点の重要性を強く認識したものの、やはりプロダクト開発をドライブするのはテクノロジーであり、開発のトップはテクノロジーに強い人間のほうがいいと感じていました。
そしてテクノロジーをもっと究めたいと考えるようになり、実は役員の就任要請を受けた時点では辞めようと思っていたんです。でも経営に携わるチャンスなどそうそう得られるものではありませんし、いったんチャレンジしてみようと受諾。それまで手がけたことのなかったバックオフィスのマネジメントなども経験し、キャリアが大きく広がりました。2年ほど役員を務めてある程度成果を上げられたタイミングで、まったく新しいことにチャレンジしてみたいとAWSへの移籍を決断。ファッションECサイトの開発時からAWSを活用していて、素晴らしいテクノロジーを持っていると非常に興味を持っていましたし、まったく未知の世界でどれほど自分が通用するのか挑戦してみたいという気持ちもありました。
及川
エンジニアからプロダクトマネジメントにシフトし、またテクノロジーサイドに戻ってキャリアを充実させたいとお考えになられたのですね。私自身もテクノロジーにこだわりがあり、稲垣さんと同じような道を歩んできたので大いに共鳴できます。ちなみに、稲垣さんがプロダクトマネジメント的な業務を手がけ始めたのは、いつ頃からですか。
稲垣
SIerに在籍していた20代後半の頃には、チームでいいものを作ってお客様に届けていくほうに力を振っていこうと考えていました。当時はまだプロダクトマネジメントという言葉もなかったと思いますが、私としては「何を作るのか」「なぜ作るのか」にしっかりフォーカスして製品を企画開発することに自分の強みを発揮したいと。ただ、私のなかにはずっとエンジニアのコンテキストがあって、いまもそのコンテキストに基づいてプロダクトマネジメントという仕事をやっている感覚ですね。
