米国駐在が長く、日本企業の情報収集も兼ねてエージェントを利用。
海老澤さんのキャリアを拝見すると、まずソニーから日産自動車に転職されています。その経緯を教えていただけますか。
ソニーから日産に転職したのは米国駐在がきっかけでした。ソニーのUS拠点で5年ほどプロダクトマネージャーとしてサービス開発を担いましたが、その間にモビリティサービスに強く興味が湧いてきたのです。
当時、米国ではテスラが急成長し、Uberが物凄い勢いで伸びていました。自動車業界に破壊的な変化が起きていると肌で感じ、その変化の中に自分も身を置きたいと。まだまだ日本は自動車業界をリードする立場にあったものの、かつて我が国の携帯電話業界がスマート化に対応できず衰退したように、このままでは自動車業界も同じような道を辿りかねない。
そんな危機感を覚え、日本の産業力向上に貢献したいと自動車業界への転職を考えるようになったのです。
日産からセンシンロボティクスに転職されたのは、どのようなお考えからですか。
ソニーから転職する際、本当は自動車メーカーでなはなく、モビリティ関連のサービスを手がける会社を志望していました。しかし、そうした先鋭的な企業は当時まだ日本には見当たらず、いったん自動車メーカーに入社しようと、グローバルなスケールで変革の意欲に富んだ日産を転職先として選んだのです。
当初から、次のステップではもともと望んでいたサービス開発系の企業に進もうと考えていました。
日産に転職した時から、次のキャリアを意識されていたのですね。どのようなタイミングで再転職を決断し、どんな方法で転職活動を行われたのでしょうか。
転職を決断したのは、コロナ禍の影響が大きいですね。自動車の需要が一気に減り、業界全体が停滞しました。新たなモビリティサービス開発への気運も落ち込み、このまま自動車業界にいるべきか悩むようになったのです。
自動車業界に大きな変化が訪れる時期も後ろ倒しになりそうで、私も40代半ばに差しかかり、現役で力を振るえるタイミングで変化の波が来ないと、社会にインパクトを与えるサービスを創り出せるチャンスを逸してしまう。
そう考えて、まず転職エージェントにアプローチすることから行動を起こしました。
海老澤さんクラスの方なら独力で転職できるように思います。転職エージェントを利用されたのはどうしてですか。
米国での生活が長かったので、日本のプロダクトマネジメント事情に疎く、どんな企業に活躍の機会があり、どんな仕事に挑戦できるのか、まったくわからなかった。それで情報収集も兼ねて転職エージェントを利用しました。