決定者の声 パナソニックホールディングス 玉置 肇 氏
自分の軸を確立してから、「就社」ではなく「就職」を。
人とのご縁は一期一会、大事に紡いでゆくもの
公開日:2023年6月13日
Profile
玉置 肇
パナソニックホールディングス株式会社 執行役員 グループCIO
パナソニックインフォメーションシステムズ株式会社 代表取締役社長
1993年、P&Gファー・イースト・インク(現P&Gジャパン合同会社)に入社後、20年以上システム畑を歩み、その間、日本、米国、シンガポールにおいて地域CIOやグローバル・ディレクターなどの要職を務め、会社のグローバル化を推進した。2014年、株式会社ファーストリテイリングに入社、グループCIOに就任。2017年、アクサ生命保険株式会社の執行役員インフォメーションテクノロジー本部長に就任。2021年5月、パナソニック株式会社執行役員グループCIOに就任。
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P&Gを退職後、次のキャリアでは「就社」ではなく、
CIOとして「就職」すると決めた。
まず初めに、これまでのご経歴についてお聞かせください。
私は大阪大学院でニホンザルの研究を行っていて、当時は大学の先生を志していましたが、先輩たちが博士課程を修了しても就職先が無い状況を目の当たりにしまして。研究者の道を断念して就職することを選択し、数社内定をいただいた中でP&Gに入社しました。
P&Gでは、海外での経験や大規模なシステムの入替えなど面白い経験をさせていただき、15年で執行役員、ディレクターに昇進し、アジア中に数百名の部下もできました。日本のP&Gを退職してアメリカに行き、シンガポールのP&Gに入り直した後は、世界中のインフラの責任者という非常に大きな仕事をしており、待遇も恵まれていました。ただ、私の子供は生後ずっとアメリカとシンガポールで過ごしていて、日本人として子供を育てるには帰国する必要がありましたが、日本にポジションが無く、P&Gを辞めざるを得ない状況でした。
次に何をしようかと考えた時に、P&GではアメリカでCIO的な仕事を経験し、シンガポールでは世界中のデリバリ変革という、アサインメントを転々としながらも一貫してITの経営職を担っていたことに思い当たり、次は「就社」ではなくCIOとして「就職」をすると決めました。その後、クライスの永田さんからファーストリテイリングのお話をいただいたことが縁で代表の柳井さんと出会い、本当の意味でCIOを職業にしたのが2014年の4月でした。ファーストリテイリングにはグローバル組織をゼロからつくりあげていく醍醐味があり、面白かったです。
次のキャリアとしてアクサ生命を選んだ理由は、金融に興味があったことと、フランス人COOのエルベさんの熱意に打たれたことです。日本のために本気で変革しようとしているフランス人COOを私は日本人のIT本部長として支えようと、全力で取り組みました。
最初は全然受け入れられず、「何しに来たの」という冷たい雰囲気の中で、1年かけてオフィスや組織を変えていき、IT組織全体で400人程度、協力会社を合わせても1000人という規模感の中で、手触り感のある変革をさせていただきました。P&GやファーストリテイリングのときはIT組織が世界中に点在していましたが、アクサ生命では全員日本にいるので変革はやりやすく楽しかったですね。3年目には大々的に組織を変えて、大きな成果も出てきて社員もとても明るくなり、CIOの仕事は本当に面白いなと思いました。
玉置さんがCIOとして新たな環境に移られる際に心がけていらっしゃるのはどんなことでしょうか?
まず、トップダウンではなく、自分自身が仲間として認めてもらう努力をして、それを変革につなげていくことです。よく変革者が自分の友達や仕事仲間を連れて来て「チーム●●」等と掲げるケースがありますが、絶対にそれはやめたほうが良い。私は、どこに行くにも自分ひとりで行って、社内の人を仲間に巻き込み、彼らが持っている変革のマインドセットに火をつけて一緒にやっていくというプロセスをとても大事にしています。
2つ目は、変革をするときにはアイコンが必要です。組織名を変えて、ロゴもつくり、Tシャツを皆に配って「これでやるぞ」と。今は「PX(Panasonic Transformation)」というロゴをつくっています。これは非常に大事なことであり、過去の経験から学びました。
最後は、私利私欲を捨てることです。「自分のお金や名誉やキャリアのためにやっている」というのはすぐに周囲から見透かされるものです。幸いにも私のように企業から来て欲しいと請われて行く場合は、その企業が変わりたいから転職者を求めているわけで、そこで連れてこられた人は「変革者」です。これは少し語弊があるかもしれませんが、変革者はそのポジションオファーを受けた時点で「既に失敗している」と言えます。私は、変革者が成功した事例を見たことが無い。だからこそ、あまり自分のポテンシャルやパワーを過大評価しない方が良いと思います。期待値をグッと下げて私利私欲を捨てて、社内の人を大事にして変革をしていかなければという思いで、私は今も日々仕事に取り組んでいます。
玉置さんは、メディアでも「社員を幸せにしたい」と度々おっしゃっているのが印象的です。どのような想いから、このようなことを大切にされているのでしょうか。
実は、P&G時代の苦くつらい体験がベースになっています。日本でディレクターになった頃、私はアジア本社だった日本からシンガポールに本社を移すという仕事を2年ほどずっとしていました。それは、私を採用してくれた方や若い時に私を可愛がってくれた先輩、自分の友達などもリストラの対象となる仕事であり、本当にとてもつらいものでした。
それで、日本の仕事から離れるためにアメリカに行ったという経緯があったので、日本に帰ってきたときから今に至るまで、「決してもう日本の仲間を悲しませない」という思いが私の心に深く刻まれています。その苦い経験があるからこそ、社員には本当に幸せになっていただきたいと思っています。当時は非常につらかったのですが、私にとって大事な経験でしたね。
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私がやらなかったら誰がやるのか。
前始末の徹底と、パナソニック変革(PX)への道程。
パナソニックへ移られた時の経緯はどのようなものだったのですか?
パナソニックの専務だった樋口とは彼がマイクロソフト社長の時からの知り合いで、以前から何度も声をかけられていましたが、アクサ生命で変革を成し遂げてからでなければ行かないと決めていました。その後、現社長の楠見からCIOを探していると樋口にオーダーがありまして。その時点でアクサ生命を辞めることは決めており、転職先もほぼ決まっていましたが、クリスマスイブに樋口から「すぐ社長に会ってほしい」と連絡があり、年明け早々に楠見と会いまして、その後大阪本社に行き会長の津賀にも会いしました。でも、実は私はパナソニックのオファーを断ろうと思っていました。妻からも「あなたは外資系の人だから松下電器のような日本企業は合わないでしょう」と言われていたんです。
ところが、帰りの新幹線が品川に近づくと心が変わってきて、「私がやらなかったら誰がCIOをやるのだろう」と。日本語が堪能な外国人がやるのがしがらみも無くてベストかと考えましたが、私は大阪大学出身で、松下電器はとても身近な存在でしたし、松下幸之助は日本人の心ですよね。それを外国人に任せるということで本当に良いのか。今まで奨学金で国立大学院まで出していただきながら、長い間外資系企業で働いて多く給料はもらっていても国にあまりお返しできていない私がCIOとして最後にできるご奉公は、この会社を何とかすることではないかと決意して、「受けます」と電話でお伝えしました。それで今に至ります。
「前始末」のお話を以前伺いましたが、パナソニックご入社前にはどのようなことをされていたのでしょうか。
入社前は入念にパナソニックの役員、社員、元社員、協力会社、マスコミ、CIO仲間など様々な方に話を聞き、パナソニックの問題点とは何だろうと考えました。楠見は何を変えたいのか、対話を重ねて紡ぎ出していったのです。3階層の変革のフレームワークを2021年3月時点で作成し、4月はそのフレームワークをもとに100日間計画をパナソニックの仲間達と一緒につくりあげていきました。「この人は何をしに来たのか」、初日に皆がわかるようにすることが大事だと考えたからです。
5月に着任して、皆の様子を見てから等と悠長にやっている時間は無いので、垂直立ち上げのために行いました。そこから100日間は皆がその計画に則ってプログラムの内容を形にしていき、何をやるのかというテーマ性を明らかにして、PXを7月下旬に全世界に向けて皆で発信しました。10月に楠見が対外向けに行う下期の方針発表に向けて、ロゴも作成してLinkedInで大々的に宣伝を打ち、2021年10月1日には完全にPXが起動しました。
そこまで前始末を徹底されていたのですね。ご入社後の取り組みについてもお聞かせください。
パナソニックグループは、これから企業成長を図るために事業・ポートフォリオ・価値創出の考え方を変える必要があるのですが、非常に数多くの様々な事業の会社が集結しているため、事業構造が各社によってバラバラであり、データの連携もできていません。システムも繋がっていないため、同じお客様をグループ内で捕捉することも不可能な状況です。
上記の課題を解決すべく、「ITの変革」「オペレーティング・モデルの変革」「カルチャーの変革」という3階層のフレームワークによって推進していくことで、パナソニックグループ全体を変えていく。これが我々が掲げているPXであり、現在仲間達と共に頑張って取り組んでいるところです。
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共にキャリアを考え、伴走してくれるコンサルタントの必要性。
人とのご縁を大切に。
ファーストリテイリングへの転職にあたり、クライスの支援で印象に残っていることはありますか?
P&Gは素晴らしい会社ですし、私は21年間ずっとP&Gで育っており他を知らなかったので、そこから出るという最初の一歩は本当に勇気が要るものです。レジュメの書き方すら知らないため、伴走いただけるコンサルタントが必要でした。ただ、当時は多数のヘッドハンターにお声がけをいただいたものの、私のキャリアを考えてくれる方はほとんどおらず、紹介手数料を稼ぐためのトランザクションと捉えられているように感じる方が多かったです。
永田さんが良かった点は、人間として付き合ってくださったところだと思います。とても親身になって、丁寧に時間をかけて私の感情に向き合っていただきました。時には、私に「こういうことを言った方がいいですよ」とフィードバックもしてくれて。人によっては、永田さんの手取り足取りのサポートをやや過剰だと思うかもしれませんが、私にとっては「そこまで教えてくれるんだ」とありがたかったし、非常に印象的でしたね。永田さんと出会っていなければ、ファーストリテイリングに行かなかったかもしれない。結果的に、私はファーストリテイリングの経験があったから今があると思っています。
転職において、エージェントを活用した方が良いのはどういう時だと思われますか?
特に最初の転職のときは、お作法がわからないのでエージェントを活用すべきだと考えます。エージェントは数多くの人に会ったほうが良いですね。私も当時は、永田さん以外に20人ぐらいの方と会っていました。自分で目利きをして、「この人なら信頼できる」と思えるエージェントと付き合うことをお勧めします。私が永田さんとこれまで長くお付き合いさせていただいているのは幸せなことであり、とても大事なご縁だと思っています。
ではどのようにエージェントを見極めれば良いのかというと、非常に難しいですね。当然自分との相性が合うかということもありますが、自分のキャリアや人生のことをこの人は考えてくれているのかなと。ただ、最終的には個人個人のキャリアや人生は自分個人のものであり、親でも夫婦でも自分の人生に誰も責任を取ってはくれません。そのため、甘えは良くないと思いますが、このエージェントは少しでも自分の人生に寄り添ってくれる気があるのかなというのは、会話をしながら自分で感じてみると良いかと思いますね。
最後に、これからCXOを志す方に向けて、ぜひメッセージをお願いします。
漠然とCXOを目指すのではなく、自分の軸は何なのかというのをある程度確立されてから次のキャリアに行った方が良いと思います。なぜなら、最初に働く環境はとても大事であり、そこで学べることは非常に多いと思うからです。初めに入社した会社を3年、5年で辞めて次はCXOを目指す、という人を目にすると「大丈夫かな」と思ってしまいます。ある程度初めの会社で長く経験を積んだ後、自分で軸を決めて「私はこれで生きていくんだ」ということが明確になったら、そこから次のキャリアを描くために転職して新たな一歩を踏み出すのも良いのではないでしょうか。
それから、人とのご縁を大切にして欲しいと思います。人脈や業界のリファレンスというのは、本当に大事なものです。「あの人は仕事しないからね」といったことをすぐに言われてしまうので、どこに行っても真面目にしっかり仕事をすることです。
また、私は過去の転職において、オファーをいただいて最終的にお断りした企業には毎回お詫びのご挨拶に行き、ベンダーさんにも誠意を持って対応していました。ファーストリテイリングを辞める際に、お世話になったベンダーの方には手紙や訪問でご挨拶をしました。そのうちの一人は、マイクロソフトの社長だった樋口です。アクサ生命を退職する時にも、後任のアメリカ人のIT本部長を連れて主要なベンダーの方々へ挨拶回りに行きました。特に日本の社会においては、お世話になった方々に礼を尽くすことが重要だと思います。
構成:神田 昭子
撮影:波多野 匠
- ※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。
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