決定者の声
株式会社スープストックトーキョー
取締役社長
工藤萌氏
大企業のマーケッターから、ベンチャーへ、そして社長に
出産を機に価値観が変わり、やりたいことが明確に
公開日:2024年5月1日
Profile
工藤 萌
新卒で資生堂へ入社し、営業経験後、一貫してマーケティングに従事。低価格メーキャップブランドで当時史上最年少ブランドマネージャーを務めた後、サンケアブランドのグローバルブランドマネージャーを務める。第一子出産を機に、2019年にユーグレナへ転職し、マーケティング部門の立ち上げや事業本部長、執行役員を歴任。2023年3月よりスープストックトーキョー顧問、2023年8月に同社へ入社し、取締役就任。価値づくりユニット長も兼務し、ブランド戦略を軸に経営執行を推し進め、2024年4月に取締役社長に就任。
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子供を持ったことで、マーケッターが
社会に負うべき責任をあらためて強く感じた。
まずは工藤さんのご経歴を教えてください。
私は2004年に新卒で資生堂に入社し、長らくマーケティングに従事しました。若年層向けのメーキャップブランドに関わり、当時、史上最年少でブランドマネージャーを務めるチャンスを得て、サンケア商品のグローバルブランドマネージャーも経験。その時に第一子をもうけたのですが、それが自分の生き方を見直すきっかけとなり、育休中に転職を決意して2019年にユーグレナに移籍しました。
ユーグレナでは、マーケティング部門の立ち上げを担い、ヘルスケアの事業責任者や執行役員として同社の経営に携わりました。ユーグレナでも有意義なキャリアを重ねることができましたが、そこでもまた「自分は何をやりたいのか」を思い直す機会があり、再び転職を決断。2023年にスープストックトーキョーに取締役として参画し、2024年4月に取締役社長に就任して現在に至っています。
かつて勤務されていた資生堂では当時、最年少でブランドマネージャーを務められたとのことですが、なぜご自身が抜擢されたとお考えですか。
マーケッターとして最初に関わったのが規模の大きなブランドで、若手の私もバッターボックスに立つ機会がたくさんあって、自分でバットを振りまくることでマーケティングの力が鍛えられたように思います。そして、運も良かった。当時、資生堂は140年にも及ぶ歴史のなかで初めて外部からトップを招聘し、外資系でマネジメント経験を持つ魚谷(雅彦)さんが社長に就任されたんですね。魚谷さんは大胆な経営改革を進められていて、年功序列を排して若手人材を積極的に登用しようという気運が社内に生まれていました。
たまたま私は、魚谷さんがいらっしゃる半年前からMBA取得のために夜間のビジネススクールに通っていて、業務においてもインプットとアウトプットの高速回転をかなり意識していました。ビジネススクールで学んだことをすぐに実践したいと、いろんな局面で自ら手を挙げて発言をすることを繰り返していたんですね。そうして自分の成長角度がぐっと上がったタイミングで、マーケッター出身の魚谷さんが、ブランドを変えていくことで資生堂を改革していくという方針を打ち出した。私が担当していたブランドにも白羽の矢が立ち、積極的に自分の意見を発信していたこともあってチャンスを与えてもらえたのだと思います。
私たちクライス&カンパニーが工藤さんと初めてコンタクトしたのは、ご自身が育休中の時でした。なぜ転職を意識されるようになったのでしょうか。
当時、転職を真剣に考えていたわけではなく、育休中あまりに暇だったので(笑)、いま世の中でどんな人材が求められているのだろう?と興味本位で転職サイトに登録したんです。ただ、その頃、これからのキャリアを考えた時に、もやもやした違和感を覚え始めていたのも事実でした。モノが溢れる時代に、大量生産・大量消費を促すのではなく、これまで培ってきたマーケティングのスキルを社会を前進させる方法に使えないだろうかと、そんな思いが出産を機に芽生えてきたのです。
マーケティングというのは、人々の意識を変えて消費行動を変えていく、とてつもない力を秘めています。人間は消費せざるを得ない世界に生きていますし、消費することはけっして悪ではない。しかし、それが10年後、30年後、100年後にどうつながっていくのか、そこにマーケッターは責任を負わなければならないという意思を、子供を持ったことで強く抱くようになったんですね。それが違和感の源で、次第に私の中で拭えなくなってきた。モノが売れることで社会がより良く変わっていく、そんな世界観のなかで自分の時間を費やしたいと思ったことが、ユーグレナへの転職につながりました。
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狂気を秘めて社会変革に挑む経営者との出会いが、
私を縛りつけていた枠を取り払ってくれた。
ユーグレナは、クライス&カンパニーがご紹介させていただいた企業でした。同社に転職をお決めになられた理由は何ですか。
当時副社長を務められていた永田(暁彦)さんとの出会いが大きかったですね。最初の面談で、先ほどお伝えした「違和感」を永田さんも同じように感じられていて、しかも具体的なアクションを起こしてビジネスとして動かし始めていて、あれこれ思い悩んでいる私の百歩先を進まれていた。その姿がとても格好良くて、自分もそこに参加して一緒に歩みたいと思ったのです。
ユーグレナでは当初、マーケティング部門の立ち上げを担われたとのことですが、生まれたばかりのお子さまを抱え、仕事と育児の両立は大変だったかと存じます。実際はいかがでしたか?
子供が毎日夜泣きで睡眠時間もろくに取れない毎日で、当時の記憶はほとんどありませんね。昼夜関係なくめちゃくちゃ忙殺されていましたが、もともと働くことが好きなので、けっして苦痛ではなかった。逆に忙しくないと私は死んじゃうタイプなんです(笑)。そして、我が子の存在が私にパワーを与えてくれた。本当に愛おしくて、自分の価値観を変えてもらったこともあって、あまりあれこれ考えずに「この子のために頑張ろう」と仕事に打ち込んでいましたね。
ユーグレナでの経験は、いまの工藤さんにどのような影響を与えているのでしょうか。
永田さんと、いま代表取締役社長を務めている出雲(充)さんは、良い意味で「狂気性」を秘めていらっしゃるんですよね。ビジネスを通して本気で社会を変えていこうとされている。そんなお二人の狂気性に触れて、自分がまだまだ至らないことを痛感させられました。過去に資生堂でブランドマネージャーを務め、ある程度自分の力でビジネスを動かしていたつもりでしたが、当時は『私ができるのはこれぐらいかな』と無意識のうちに自分の限界を定めていたんですね。やはり「資生堂の工藤」だったから大きなビジネスを担えたのであって、「工藤」個人ならばどこまでできるのだろう?と。それがユーグレナに参画し、永田さんや出雲さんのような物凄いパッションで世の中を変えていこうとする方々を目の当たりにして、本気で挑めば可能性はいくらでもあると身をもって気づかされた。そうして私を縛っていた枠を取り払ってくれたことに、とても感謝しています。
スープストックトーキョーとの出会いは、どのような形だったのでしょうか。
2022年の末頃だったでしょうか、日本のCMO(Chief Marketing Officer)が集う宣伝会議主催の大きなパーティーがあり、そちらに参加したんですね。そこで、スープストックトーキョーの当時の社長の松尾(真継氏)と知り合い、たまたま席が隣だったこともあって、コミュニケーションを取るうちに意気投合して……当時、ユーグレナでヘルスケア事業を率いていたこともあって、経営の悩みを松尾にいろいろと相談させてもらったんです。
松尾はすでに8年にわたってスープストックトーキョーの経営を担っていて、アドバイスも的確でとても惹かれたんですね。その出会いをきっかけに、私自身もスープストックトーキョーの商品が好きだったこともあって、マーケティングのお手伝いができればと最初は顧問として参画。ユーグレナは副業OKでしたので、しばらく兼業で関わっていましたが、取締役のオファーをいただいて入社しました。
工藤さんスープストックトーキョーへの転職をお決めになられたのは、何がきっかけだったのでしょうか。
スープストックの顧問をしていた2023年4月に離乳食の全店無料提供を発表したところ、旧Twitterで大変大きな反響をいただき、その対応もお手伝いしていました。そこに関わるなかで、居ても立ってもいられない感情になってしまったのがきっかけです。
旧Twitterでは「ありがたい」と言ってくださる声も多かった一方で、「クレクレママと子供の奇声でお店が地獄絵図になりそう」のようなお声もいただきました。いわゆる炎上のような状態になってしまったのですが、謝罪や静観といった選択肢もあるなかで、私たちは「なぜこの取組みをしようと思ったのか」という想いを一週間後に声明として発表し、ありがたいことに多くの賞賛の声をいただきました。スープストックトーキョーは、「世の中の体温をあげる」という理念があること、“Soup for all!”という食のバリアフリーを掲げ、年齢や健康上・宗教上などの制約がある方でも美味しい食事を一つの食卓で囲めるようにしたいと願っていること、したがって、どんなお客様も区別するつもりはないことをお伝えしたのです。さまざまな意見があるのは仕方のないことですが、この炎上の裏で傷ついた人もいらっしゃるはずで、私たちの思想を表出させることで社会への応援歌になるのではないか、と考えていました。
その時、「利他の心を持て」というお声も多くありましたが、利他の心は自分を愛せなければ生まれません。私としては、ただただ「利他の心を持て」と正論を言うのではなく、何か社会をより良く動かすソリューションを出したいのです。振り返って、ユーグレナが掲げているサステナビリティの理念も、それは環境だけの話ではなく、すべて人が関与して起きていることだから繋がっているのであり、対処的に改善するのも必要ですが、その後の「良い形であり続けるための人の在り方」も同時に考えなければならないと強く感じていました。その部分で自分はチャレンジしたいんだ、という思いをあらためて強くし、 「世の中の体温をあげる」という理念を徹底しているスープストックならできる、と確信したのです。
ユーグレナを退職されるまで、かなり悩まれたかと思いますが、最終的にどうご決断されたのですか。
ユーグレナのことはとても愛していましたし、半年ぐらい葛藤し続けて、やはり自分のやりたいことをやろうと決断。ユーグレナに迷惑をかけたくなかったので、この事業を託すことのできる能力を持った後任の方としばらく伴走し、きちんとサクセッションしたうえで退職しました。永田さんからは慰留されましたが、最後は「工藤さんの人生だから、自分が望む幸せを追求してほしい」と快く送り出してくださりました。
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怖いもの知らずでたどり着いた、取締役社長の座。
「工藤」という一個人で社会と向き合える手応えが。
工藤さんはスープストックトーキョーに入社後、2024年4月に取締役社長に就任されています。これは当初からの予定だったのでしょうか。
入社当初はそのような話はありませんでした。ですが、松尾はずっとサクセッションを考えていたようで、スープストックトーキョーが次のフェーズに進んでさらに成長していくためには、自分ではない人材が会社を率いるべきだと。そこに私が指名された感じでしょうか。スープストックトーキョーは強烈な理念経営を掲げていて、そうした会社の姿勢も私の価値観と合っており、松尾はそこも評価したように思っています。実際に社長のポジションに就いてみると、限られた資源をどう配分するかという経営の本質はマーケティングに通じるところがありますが、経営者の大きな責任として雇用を生み出すことがあり、当社にとって理想的な雇用とは何かを考え、創出していかなければと考えています。私にとっては未知のチャレンジですが、それを自ら手がけていくことにとてもワクワクしています。
クライス&カンパニーについてもおうかがいしたいのですが、当社のコンサルタントと関わってどのような印象をお持ちですか。
経営層の転職というのは、単にリソースを穴埋めするという形ではうまくいかないと思います。その企業が掲げる理念や価値観にいかにフィットできるかが大事。そうでないと、働いていても楽しくない。クライス&カンパニーのコンサルタントの方は、そうした理念や価値観を軸に対話を重ね、ただのスキルマッチではなく自分に本当に合っている企業を提案してくださります。候補となる企業の経営者の方々とも親密な関係を築かれているので、その企業の「志」を深く理解されているのが素晴らしいと思っています。
それでは最後に、CxOへのキャリアを志す方々にメッセージをお願いします。
やはり「働く」というのは、自分の人生の多大な時間を費やす行為なので、その意味を明確にして転職活動に臨むべきだと思います。私にとって「働く」とは「何かを生み出すこと」であり、それをきちんと言語化し、思いをもって訴えていくことで理解や共感を得て、「ならば工藤さんにこんな機会を提供しよう」と周囲も動いてくださる。私は怖いもの知らずで、自分の欲求に忠実に行動を起こしていくタイプなのですが(笑)、結果として現在のポジションにたどり着いた。おそらく、あのまま資生堂にずっと在籍してたら、ずっと「資生堂の工藤さん」だったと思います。それが、ユーグレナ、そしてスープストックトーキョーと、いろんな人との出会いから機会を得て転職を重ねるなかで、「工藤さん」という一個人で社会と向き合い、やりたい仕事ができるようになってきた。個人に対して社会から期待されるようになると、キャリアの選択肢が大きく広がりますし、人生がどんどん豊かになっていくように感じています。
そして付け加えるなら、ワーキングマザーの方ほど経営層を目指してほしいと思います。まだまだ働くママに対して、育児と両立できる仕組みや文化が築かれていない企業も多いようですが、経営層になれば当事者として変えていくことができる。これから後に続く女性の後輩たちのためにも、より多くのワーキングマザーの方に、自ら意思決定できる経営側にぜひ立っていただきですね。
構成:山下 和彦
撮影:波多野 匠
- ※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。
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