ハイクラス転職のクライス&カンパニー

80歳の自分が今の自分を見て、どう思うか?子供に胸を張れる生き方を

公開日:2014.01.15

大企業の同期トップで所謂出世街道を走っていたものの、こみ上げる情熱にしたがって起業。絵本ナビを立ち上げたのが金柿秀幸さんである。絵本の試し読みやレビューのシェアなど、いまや600万人が利用する人気サービスを構築した金柿さんのターニングポイントに迫った。
金柿秀幸氏のプロフィール写真

金柿 秀幸 氏プロフィール

株式会社 絵本ナビ / 代表取締役社長

1968年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、大手シンクタンクにて、システムエンジニアとして民間企業の業務改革と情報システム構築を推進。その後、総合企画部調査役として経営企画に従事。2001年、愛娘の誕生にあわせて退職。約半年間子育てに専念した後、株式会社絵本ナビを設立し、代表取締役社長に就任。2002年、絵本選びが100倍楽しくなるサイト『絵本ナビ』をオープン。2003年、「パパ’s絵本プロジェクト」を結成、全国で絵本おはなし会を展開中。NPO法人ファザーリング・ジャパン初代理事。

著書

Message

志あるハイクラス転職を、クライスと クライス&カンパニー

Interview

「同期トップ」からの転身

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金柿さんが起業を考え始めたのはいつですか。
金柿

学生時代からです。イオングループで経営者をやっていた父の影響を受けました。実は中学生の頃は父の仕事がちょっと嫌でした。肌着やお弁当を売る商売と捉えていたので、思春期の中学生男子としては格好悪いなと(笑)。その一方、私が大学生になる頃にはイオンが関連会社を次々に立ち上げ、父はアメリカの会社と合弁でつくったレッドロブスタージャパンの初代日本人社長になりました。そしていままでなかったお店が六本木にオープンし、テレビでどんどんCMが流れるようになりました。そのCMは父が私たち家族に三つの案をビデオで見せて「どれがいいか」とリサーチして決めたものでした。そうやって何もなかったところからみんなが知っているお店が出来上がっていく様子を見て純粋に「凄い!」と思ったのです。

――
間近で新しい事業が世の中に出ていく様子を見られたのですね。
金柿

アメリカへの視察旅行に同行させてもらったことがあるのですが、そのときはアラスカから入国し、ナパバレーに寄ってサンフランシスコまでプライベートジェットで飛ぶという行程で「滅茶苦茶格好いいな」と思いました。ゼロから何かが立ち上がってくるワクワク感と、本当に世界を股にかけて事業をする格好よさ。そのとき、私もいつか自分の生み出した商品、サービスを世に問いたいという思いがふつふつと湧いてきました。ただ、いろいろ考えたのですが当時は現在と起業の環境が違うこともあって普通に就職し、銀行系のシンクタンクである富士総合研究所(現みずほ情報総研)に入社しました。

――
なぜ、富士総合研究所だったのですか。
金柿

世の中の大きな潮流としてコンピュータが来ているということもあり、システムエンジニアの仕事を選びました。当時は「男は仕事だ」という美学がありましたので、深夜意識がなくなるまで仕事をして、意識がなくなったらタクシーに乗って帰るという生活をしていました。長時間労働が美徳でしたね。そうこうしているうちに27歳で結婚し、会社の評価も非常に良く、100人ほどいる同期のなかで最初に本部へ呼ばれ、経営企画のポジションに入れていただきました。その頃はこのまま一生懸命働いていれば給料がどんどん上がり、マイホームも買えて素敵な人生が待っているのだろうなと思っていました。

――
そんな金柿さんが起業するきっかけは何でしたか。
金柿

自分としては出世街道まっしぐらという感じで頑張っていたのですが、一方で頑張れば頑張るほど幸せから遠ざかっていく感覚もありました。会社の先輩たちをみると子供から「今度いつ帰ってくるの?」と言われ、そういう私自身も家庭生活がすれ違いになっていました。そんな時期に妻から子供ができたこと聞いて、ずっと抑えていた独立起業への思いが再び湧き上がってきたのです。このまま出世コースに乗って、子供ができ家を買ってローンを背負ったらもう勝負はできないだろう、と。また家計のためにはこのまま会社に勤めたほうが良かったのかもしれないのですが、5年後、10年後の我が家をイメージしたとき崩壊した家庭の姿が思い浮かんだのです。いつも忙しく、帰宅しても「お帰り!」と誰もいってくれなくて、「なんでお帰りといわないんだ」「だってお父さん、いつも家にいないじゃない!」と口論しているような。

こみ上げる情熱と楽観主義、根拠のない自信

こみ上げる情熱と楽観主義、根拠のない自信

――
起業したときの年齢はおいくつでしたか。
金柿

33歳です。30代前半は皆、責任ある仕事を任されるようになり、家庭でもやることがたくさんあって「将来どうするか」を考えるタイミングだと思います。その時期、私の場合は独立するか、会社に残るかという選択肢が目の前にきていました。本当に葛藤の連続でした。収入的に安定した道を外れるのはやはりリスク。その一方、情熱と過度の楽観主義、そして「俺ならできる」という根拠のない自信がこみ上げてもいました。そうして悩んだ末に考えたのが二つの理屈です。一つは、やはり子供に胸を張れる生き方をしたい。自分で自分自身をマネジメントする生き方にチャレンジするのは、子供に胸を張れる生き方だろう。もう一つは70歳、80歳になった自分がいまの自分を見たとき、果たしてどう思うか。いまは迷っていても未来の自分はきっと「行きたいほうに行け!」と言うに違いない。そんな理屈を考えたうえで、決断し会社に辞表を出しました。

――
起業当初から「この事業をやりたい」というものがあったわけではないのですね。
金柿

そうなのです(笑)。退職してからは半年間、子育てをしながら事業立ち上げの準備をしました。その間に「儲かる商売って何だろう」と考えてプランを14個つくったのですが、友人に見せても「今ひとつだね」という感じで全部ダメでした。15個目のプランが絵本ナビで、これは子育て生活のなかからアイデアが生まれました。私はおむつを替えたりミルクをあげたりするのはあまり得意ではなかったのですが、生後2か月の娘に『はらぺこあおむし』という絵本を読んであげたら笑ってくれた気がしたのです。「これなら俺にもできる」と思い、本屋さんに次の絵本を買いにいったのですが、何を選んだらいいのかわからない。妻のママ友に聞いたら「みんな口コミで選んでいるんですよ」と。そこで「我が家のおすすめ5冊をコメント入りで選んでください」と10人のお母さんたちに紙を配り、50冊分の情報を集めたら意外なことに『ぐりとぐら』以外はまったく重なっていませんでした。そこで回答内容を集約してお母さんたちにフィードバックしたらとても盛り上がり、「これをウェブサイトでやったらどうだろう?」と聞くと「私、使うわよ!」と皆さんがおっしゃってくれたので、じゃあこれをやろうと決めました。

――
「儲かる」という観点ではなく、目の前にあるニーズから出発したのですね。
金柿

一人の父親として感じたニーズをユーザー候補であるお母さんたちにぶつけたところ「非常にうれしい」という反応が返ってきたことが、絵本ナビの出発点です。

写真
――
絵本ナビのアイデアが出てからは、どう動いていったのですか。
金柿

アメリカのベンチャーがガレージからスタートする姿に憧れがあったので、まず古い木造アパートの一室を借りて大きな机と背もたれ付きの椅子を置きました。前職のオフィスは都心のインテリジェンスビルで、役員フロアには赤いじゅうたんが引いてあるようなところでしたが、そこから木造アパートに我が城を構えたときは最高にワクワクしましたね。普通は格好良いオフィスビルでスーツを着て仕事をしているほうがいいのでしょうが、「ボロボロのアパートで起業しTシャツ短パンで働く自分最高!」みたいな(笑)。そのときにやはり自分は起業家なんだ、こういうほうが向いているんだと痛感しました。

――
システムは自分でつくったのですか。
金柿

サイトデザインは私がつくりましたが、システムは前職で同じチームにいたプログラマーがつくってくれました。彼は「金柿さんが独立するときは一緒にやりたい」といってくれていて、日中は会社の仕事をして、帰宅してから手弁当でシステムをつくってくれました。ちなみにいま、絵本ナビのシステムをつくっている2人のプログラマーは前職の同僚で、そのうちの1人が彼です。そうやって最初はとにかくキャッシュアウトを抑えながら事業の目途を立て、ウェブサイトができ「絵本の感想やエピソードを投稿してください」と呼びかけると、早い段階から多くのレビューが集まりました。お母さんたちは他人の役に立ちたい、自分の言葉を伝えたい気持ちがありながら家庭に入って社会と分断され、当時は最近のようには簡単に情報発信する手段もなかったので、収益面では紆余曲折ありましたがサービスとしてはスタートからグーンと伸びていきました。

「子供のためならいつでも休める」で成長を実現する

「子供のためならいつでも休める」で成長を実現する

――
起業したきっかけの一つには家庭生活があったと伺いましたが、その面ではいかがですか。
金柿

家庭を大切にしたいという思いで独立したにも関わらず、3年前くらいまでは結局、夜中まで仕事をするような生活をしていました。でもそれはやめ、会社のポリシーとして定められた時間内に最大の成果を出す。長時間労働よりも効率と成果を重視し、ハードワークだけど子供のためならいつでも休める会社というビジョンを掲げ、自分が率先垂範で実行することにしました。

写真
――
何かきっかけがあったのでしょうか。
金柿

娘から「パパがいなくて寂しい」というSOSが出たときがあって、ふと振り返ってみると起業したときの思いとは異なり、やっていることは会社員時代と同じじゃないかと思ったのです。それを「ベンチャー経営者だから家庭は仕方がない」で片づけるなら、ものすごい自己矛盾になってしまいます。絵本ナビがベンチャーであるからには高い収益性と成長性を追求しなければいけません。では長時間労働するしかないのかと考えていくと、いや、そうでなくてもできるだろうと。私のようにIT業界出身の人間は、夜の時間は無限にあって、20時くらいから「第2ラウンド行くか」というノリがあります。その一方で編集担当のママスタッフは保育園のお迎えがありますので、必ず17時に会社を出なければいけません。すると退社時間から逆算して仕事の段取りを考え、ムダを省き、きちんと進めていく逆算思考の仕事の仕方をせざるを得なくなります。この両者では流れている時間の感覚が全然違う、という体感がありました。

――
先ほど、長時間労働は美徳という感覚があったというお話もありましたね。
金柿

確かに、長時間労働をなんとなく誇りに感じていた部分もありました。しかし、データを見ても日本のホワイトカラーの生産性は先進国のなかで最低です。長時間労働は日本が世界に伍して戦っていくために当然と思っていたのですが、私たちが家庭を犠牲にして遅くまで仕事をしているのは、単にやり方が下手だったのではないかと思いました。その気付きがとても悔しくて、逆算思考で仕事をすることにしたのです。週5日、家族で食事するために帰る。それを大前提に組織全体の仕事のやり方を組み替えました。「あの人が今日休んだらアウト」という状況を決してつくらないよう情報の共有化と仕事の合理化を進め、社内SNSを導入しメールは全部Gメールに置き換え、すべてスマートフォンでコミュニケーションできるようにしました。日本の大企業ではよく「夜9時から会議スタート」「重要なことはタバコ部屋で決まる」なんてことがありますが、そういうことが一切ないようにしたのです。最初はそういった仕組みに不安もありましたが、結果的に何も問題はありませんでした。当社には在宅勤務者もいて、創業時からシステムをつくってくれた例の彼はいま、北海道の十勝に住んでいるのですが、スカイプで会議にも出られますし、まったく問題なく仕事をできています。最近入社したスタッフは、まだ動く生身の彼を見たことがないのですが(笑)。

――
個人としても会社の働き方としても大きなターニングポイントでしたね。
金柿

子育てには「いまは大切な時期だから一緒にいなくちゃいけない」というタイミングがあります。その時期は毎日、その日に起こったことを寝る前に聞いてあげなければいけません。私も娘が小学生の間は毎朝、ずっと駅まで一緒に歩いていろんな話をし、夜も一緒に食事をしました。これは自分を含め家族にとって、貴重で素晴らしい時間だったと思います。会社の机でずっとああでもない、こうでもないと唸っている位ならスパッと帰り、家族とご飯を食べ、今しかできないかけがえのない時間を過ごし、子供が寝てからまた仕事をしたほうが良い成果が出る。そして、そのほうが誰もが持続的に活き活きと生き、活き活きと働けるのではないかと思います。

――
金柿さんはこうありたいという世界を描き、強い意志でそれをつくっているのですね。
金柿

「仕方ない」で済ますのは格好悪い、という思いがあります。また、「うちはこういう会社である」と宣言し、トップの率先垂範でそれをみんなでつくっていくのはとても面白いと感じています。それもプレッシャーの少ないオーナー企業ではなく、外部の投資家から出資を受け急成長を目指しているベンチャーでやるというところに醍醐味があります。いま、私たちはユニークなカルチャーや組織運営方針にフォーカスが当たることが多いのですが、最終的には圧倒的な成果を出し、「なんで絵本ナビはあんなに伸びているんだ」と問われたとき、「我々は子供のためならいつでも休める会社だからです」と言えるようにしたい。そう社内では話しています。

構成: 宮内健
撮影: 上飯坂真

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

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インタビューを終えて

絵本という事業ドメインからくる優しい響きも手伝い、柔らかな雰囲気が印象強い金柿さんですが、今回のお話ではその裏側にある生き方のハードさと純粋さを感じさせて頂きました。「長時間労働よりも効率と成果を重視した企業経営」というのは言うのは易しですが、非常に強いプレッシャーを自らに課した生き方であると感じます。それでも金柿さんはいつお会いしても自然な笑顔をされています。本当に大事にしなければいけないものを大事にされながら、自分らしく仕事というミッションに純粋に向き合ったとき、人はこのような自然体の笑顔になるのだなと感じました。大企業での出世の道から離れ、自らの「キャリア・アンカー(※)」に純粋にしたがった先に開けていた素敵な人生のお話を聞かせていただきました。 ※キャリア・アンカー:マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院名誉教授エドガー H.シャイン博士の研究成果の1つ。個人がキャリア選択する際に、最も大切でどうしても犠牲にできないという価値観や欲求、動機。

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