八木 啓太 氏プロフィール
ビーサイズ株式会社 / 代表取締役社長
ハイクラス転職のクライス&カンパニー
公開日:2014.03.11
ビーサイズ株式会社 / 代表取締役社長
Interview
工作がものすごく好きでした。いつも外を駆けずり回っている子供だったのですが、雨の日は家の中で工作するのが好きで、つくったものを家族や友人に見せると「これ、どうやってつくったの?」「とても面白いね!」と喜んでくれました。それがまた嬉しくて、もしかすると何かものをつくって誰かが喜んでくれるという成功体験が潜在的にあったことが、自ずといまの道を選ばせたのかもしれません。
現在のような製品開発をやりたいと思いはじめたきっかけは、初代iMacです。スティーブ・ジョブスがアップルに復帰して最初に出した、スケルトンボディのパソコン。当時高校生だった私は強い衝撃を受けて、「自分もこんな格好いい製品をつくりたい」と思ったのがものづくりを志す出発点になりました。それでいろいろ調べていくとダイソンの掃除機やバング&オルフセンのオーディオ機器など、世の中には格好いいプロダクトがあることがわかりました。では、どうすれば自分がそうした製品をつくれるようになるのか。何を学べばいいのか図書館に行って調べると、どうやら電子工学と機械工学、デザインの三領域が必要だと。でも、電子は電子、機械は機械、デザインは芸大と分かれていて、三つを同時に学べる大学や学部はないんです。
そうです。仕方がないので一つずつ学ぼうということで、大学では電子工学を専攻することにしました。一方でデザインは独学することにして、雑誌や美術館で世の中でどんなデザインが評価されているのかを勉強したり、インターネットでデザインコンテストを調べてCGで描いたスケッチを応募したりして、自分なりのデザイン感を磨いていきました。
大学と大学院で六年間電子工学を勉強したので、就職した会社で機械工学をやろうと思いました。それで、普通なら専攻した電子工学で企業の新卒採用に応募するのですが、私は機械工学で就職活動をしたんです。ところが「機械工学をやらせてください」といっても、やらせてくれる会社は全然見つかりませんでした。学生時代の同級生はどんどん就職先が決まっていくなかで、自分はまったくうまくいかなかった。難しい選択をしたので取り残されちゃったんですね。そこであきらめて、六年間勉強してきた電子工学で応募すれば簡単に就職は決まったと思うのですが、どうしても自分が考えるものづくりへのチャレンジをあきらめることはできませんでした。下手をすればフリーターになるかもしれない。そんなリスクもありましたが、最後までやれるだけやってみよう。そう思って就職活動を続けたら、本当にたくさん落とされるなか、たまたま富士フイルムという会社が「そんなに機械をやりたいなら頑張ってみなさい」ということで入社させてくれました。
そうです。ジャンルはなんでもいいからとにかく機械をやりたいといったら、入社させてくれたんです。私の人生のなかで非常に大きな決断があったとすれば、この就職活動と起業がそれにあたると思います。あきらめて電子工学で就職するか、機械志望を貫くのか。精神的には紙一重で折れるかどうかというところだったのですが、なんとかこらえたことが現在の道につながりました。
入社後は医療機器の開発部隊に配属され、4年間で5製品の製品開発に携わりました。製品はどうつくるのか、品質を維持するにはどうするのかを一通り学んだら4年が経っていた、という感じです。そのあたりで電子工学と機械工学、デザインが自分のなかで一体化してきた感覚がありました。以前は別個に存在していたそれぞれのピースがうまく結びつくようになり、「これなら一人で製品開発を全部できるんじゃないか」と感じるようになったんです。そこからチャンスがあったら自分でやってみようと準備をはじめ、2011年に独立しました。
自分が大学院を卒業したころはまだ一人でものづくりをするのは不可能でしたが、だんだんとソフトウェアが安価になってきたり、製品をつくってくれるウェブサービスが出現したり、一人でもできそうな要素がぽつぽつと表れはじめたのがちょうど独立のタイミングと一致していました。そうしたサービスをうまく数珠つなぎにすると個人でもできそうだというイメージが見えてきたので、最初は一人でものづくりをやってみて、仕組みがうまくできたら社員を採用しようと考えていました。ですから、まずトライアルしようと思ったのが一人で起業した理由になりますね。
個人起業はソフトウェアやITでは一般化していましたがものづくり、まして最終製品を一人でつくろうという試みは、自分が知る限りでは前例がありませんでした。ただ、前例がないからできないとは考えませんでした。本当に「ただつくりたいからやる」という気持ちの方が大きかったので。そのときは事業モデルをどうつくるかというより、自分がつくりたいものがあるからやってみたいという思いが先行していました。
「メーカーをつくります」というと「意味がよくわからない」「そんなの無理でしょ」といった反応が多かったですね。最初はデスクライトをつくることに決め、製品開発にかかる時間とコストを見積もると10か月と1000万円があれば発売までこぎ着けられそうだとわかりました。起業して最初の1年近くは潜伏して製品開発しているような状態でしたから、友人も「あいつ大丈夫かな?」と思っていたでしょう(笑)。
振り返ってみると、すごく楽しい時間だったなと思います。ひたすら一人で開発に没頭できましたから。ただ、純粋な開発は最初の数か月だけで、そのあとは製品を量産するための準備をしていました。具体的には町工場に製造の協力を仰いでいくのですが、その頃に東日本大震災が起こったため「これをつくってください」と図面を持っていっても「いまはそれどころじゃない」と断られたり、「個人からの仕事は受けられない」といわれたり、パイプの部分は加工が非常に難しいので「技術的にできない」といわれたり、なかなか依頼を受けてくれる工場が見つかりませんでした。全部で100社くらい回ったでしょうか。大半は断られましたが、そのなかで15社くらいの心意気ある、ありがたい会社が引き受けてくれました。
そうです。富士フイルム時代からの付き合いのところもあれば、全くゼロからホームページやフェイスブックから探して連絡したところもあります。部品が20点くらいあるので、一つずつ「これをつくってください」とお願いしていきました。そうやってメーカーとしてものをつくる仕組みを構築するのに半年ぐらいかかったでしょうか。最初の製品を出すまでに10か月でできたのは、思えばかなりタイトでした。
設計した製品が物理的な形になって出てきたときは、本当に感動しました。富士フイルムに入社してはじめてものづくりをしたときも感じたのですが、魔法を手に入れたような感覚です。自分が思い描き、最初はコンピューターの画面のなかにしかなかったものが実際の形になるときは、ものすごい驚きと感動があります。
そこも非常に苦労したポイントで、やはり名前の知らないメーカーの名前の知らない製品を初めて買うのはお客様にとって勇気がいることです。「これはいいものですよ」という後ろ盾があったほうがお客様は買いやすい。その意味で第三者の評価が欲しいと考え、経済産業省の「グッドデザイン賞」とドイツの「レッドドットデザインアワード」に応募し、幸い両方とも受賞できました。それで少し信頼いただけたのと、その頃からようやくフェイスブックなどで情報発信を始めたんです。その頃は、一人でやっていることは隠していたので。
一人でつくっていると言って、お客様に「品質は大丈夫かな」と不安を持たれるのを懸念していました。しかし、新聞記者の方が取材してくれたなかで「一人でやっているということも非常に面白いから、もっと発信したほうがいいですよ」と言って「ひとり家電メーカー」と名付けてくれまして。ああ、むしろ一人でやっているのは面白いと思ってくれるんだと気付き、開発ストーリーの情報発信もはじめたら「ひとり家電メーカー」がソーシャル上でバズるようになり、情報が広まっていきました。その半年後くらいにメーカーズムーブメントが起こったのも大きかったです。メディアで取り上げてもらう機会が増え、記事を読んだ人がホームページにアクセスして「シンプルなライトだね、欲しいな」と購入してくれる人がだんだん増えていきました。
実は、独立するときはものすごく不安もありました。でも、スティーブ・ジョブスの「今日が人生最後の日だったとして、それでも今日の予定をやりたいか」という言葉に後押しされて、勇気を持つことができました。独立するときは成功する保証なんてどこにもないですし、事業計画をつくってもその通りいくとは限りません。でも、特にメーカーはそうだと思うのですが、世の中にはものがあふれていて、すでに存在するものをつくっても世の中にとって、地球にとってメリットはありません。まったく新しい価値観を提示するような製品や、これまで解決できなかった問題を解決するような製品でなければ、新しいものをつくる意味は見いだせないと私は強く感じていました。リスクはあるけれどこれまでなかったもの、新しい価値をつくり世の中に問うていくことが一番自分のやりたいことであり、それがビーサイズという企業であり事業なのです。
そうですね。実際、独立しても大変なことばかりです。モノづくりをするなら大手にいたほうが出来ることも多い。でも、私はこの真・善・美という理念を追求するためにこの「ひとり」で起業するという手段を選びました。技術的に優れ、社会をより善くし、美しい存在であること。これを目指せば、無理せず、嘘をつくこともなく、素直なままで事業に取り組めますから。
構成:
宮内健
撮影:
上飯坂真
※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。
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