ハイクラス転職のクライス&カンパニー

なぜミドリムシをあきらめなかったか 人と地球の健康のために

公開日:2014.04.10

ミドリムシ(学名:ユーグレナ)は人間に必要な栄養素のほぼすべてを含み機能性食品として活用されるほか、二酸化炭素の排出削減やバイオ燃料の研究も進められている。このミドリムシの屋外大量培養に世界で初めて成功した株式会社ユーグレナの創業社長出雲充さんは、軌道に乗るまでさまざまな危機の連続であった。どうやってそれらのピンチを乗り越えることができたのだろうか。
出雲充氏のプロフィール写真

出雲 充 氏プロフィール

株式会社ユーグレナ / 代表取締役社長

1980年生まれ。1998年東京大学文科三類入学。在学中「アジア太平洋学生起業家会議」の日本代表を務め、3年進学時に農学部に転部。2002年同大学卒業後、東京三菱銀行に入行。退職後米バブソン大学「プライス・バブソンプログラム」修了、経済産業省・米商務省「平沼エヴァンズイニシアティブ訪米ミッション」委員を務め、2005年株式会社ユーグレナを創業し代表取締役に就任。2010年は内閣の知的財産戦略本部「知的財産による競争力強化・国際標準化専門調査会」委員も務める。中小企業基盤整備機構Japan Venture Awards 2012「経済産業大臣賞」受賞(2012年)、世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leader 2012選出(2012年)。信念は『ミドリムシが地球を救う』。

著書

Message

志あるハイクラス転職を、クライスと クライス&カンパニー

Interview

「あなたは銀行員をやりたいのか、ミドリムシをやりたいのか?」

――
大学を卒業して社会に出るとき、出雲さんはどんなことを考えていましたか。
出雲

私は大学3年のときにミドリムシと出会い、世界から栄養失調をなくすにはミドリムシしかないと思っていました。しかし、光合成で植物性の栄養素をつくり出すと同時に自ら動く性質を持ち、動物性の栄養素をつくることができるミドリムシですが、当時は大量に培養する技術はまだ確立されていませんでした。そんな状況で勿論自分自身どうやって事業をするかというアイデアがあるわけではなく、そもそもお金もありませんでした。ということでまずは銀行に入って武者修行しよう。ミドリムシ研究にはお金がかかるので、資金調達などの勉強をしよう、と考え銀行に就職しました。ということで、学生時代にはあまりちゃんとした職業観のようなものは持っていませんでした。

――
もともとは世界の栄養失調をなくすということに関心をお持ちだったのですね。
出雲

高校生の頃は国連に就職し、貧困や飢餓をなくす仕事をしたいと思っていました。国連を目指している自分としては、まず貧しい国へ行き何かしら経験を積んだほうがいいと思い18歳のときにバングラデシュへグラミン銀行のインターンで行きました。そこで、山ほど炭水化物があるのに飢餓や栄養失調にあえぐ人たちがいる現実を目の当たりにしました。飢餓というのはカロリー不足だけではなく、人が健康に生きるための栄養素が不足することで起こるということも知りました。そうしたながれでミドリムシをなんとかして世に送り出したいと考えるようになりました。

――
その後、出雲さんは銀行を入社1年で退社されています。その理由は何でしたか。
出雲

銀行時代は会社の仕事を平日にしながら週末、全国のミドリムシ研究者を訪ね歩き、なぜ培養がうまくいかないのかをお聞きする生活を送っていました。そのなかである先生からこんな言葉をいただきました。「出雲さん、あなたはアマチュアのミドリムシ研究者のなかでは超一流といえるレベルです。ただ、あなたはプロではない。普段は銀行員ですからね」。つまり、日本では1980年からミドリムシ研究が行われているのですが、20年以上研究に取り組んできたプロの研究者が、ミドリムシ好きのアマチュアに20年も苦労して蓄積した研究テーマを教えるなんて虫のいい話はないということを言われたわけです。確かに、逆の立場だったら私もそう考えるだろうと思いました。「結局、あなたは銀行員をやりたいのか、ミドリムシをやりたいのか」という話で、他に浮気をしているような人と本気で一緒にやることはできませんよね、と。逆に気合を入れて銀行員をやっている人から見ても、何か大事な局面で「ミドリムシのほうが大切です」なんて言ったら「なんだ、それは」となってしまいます。なので、私はミドリムシ研究のメドが立ったから銀行を辞めたのではなく、メドも見込みもないけれど、プロになることだけを心に決め、とりあえず辞めることにしました。

――
ミドリムシがものになる、という見込みがあったわけではないのですね。
出雲

そうです。そして、これは私が意図していたことではなかったのですが、研究者の先生たちに「ミドリムシを真剣にやりたいので銀行を辞めました」と報告すると、どの先生からもびっくりされました。しかも、若い子が銀行を辞めて夢を追ってミドリムシ業界に飛び込んできたのに、そのままにしてしまったら業界としても格好がつかないと考えていただいたのか、日本中のミドリムシの先生たちがこうなったら協力してやるしかないなと。本当は研究も競争なのでみんなで協力するという雰囲気にはなかなかならないのですが、学会で一番偉かった先生が「いままでうまくいっていないのだから、みんなで協力して世の中にデビューさせよう」といってくれたのです。それで若い私たちがいろいろなところに教えを乞いにうかがわせていただくことができ、研究も進み会社をつくることになったのです。

――
成功の見込みがあって起業する、という一般的なイメージとは順番が異なりますね。
出雲

ほとんどの方は私が銀行にいたときにミドリムシの培養技術を発明し、退職して会社を立ち上げたと思われているのですが、ものになる見込みがない段階で銀行を辞め、その後次第に研究が進んだ、という順番なのです。しかもまだ屋外大量培養技術は確立できていないという段階で会社をつくりました。つまり、売るものがないのに会社をつくったのです。面白いもので、そうすると自分含めてみんな必死になるんですね。社名のユーグレナとはミドリムシのことですが、「ミドリムシの会社」を謳っているのにミドリムシを培養できなかったら恥ずかしいですから。それでみんなで必死になって難しい研究をクリアし、ミドリムシを販売できるようになりました。ただし、販売できるようになりはしましたが、私は2006年の1月から2007年の12月まで約500社に営業し、一つも売れませんでしたが。

まだ勝負すらできていないから、やめるわけにはいかない

まだ勝負すらできていないから、やめるわけにはいかない

写真
――
かなり大変な時期があったのですね。まず、会社立ち上げ時期の前後についてもう少しお聞かせください。
出雲

2005年のある新年会で、大学の先輩で当時ライブドアの社長だった堀江貴文さんとお会いする機会があり、ミドリムシの話をするチャンスがあったのですが、その数日後に、「ミドリムシの話をもっときちんと説明して欲しい」と個別に連絡をもらいました。3日後くらいに会いにいったら堀江さんの机の上にはミドリムシに関する膨大な資料や研究論文があり、「まだ誰もできていない培養をどういうアプローチで成功させようとしているのか」など、かなり専門的なことを聞かれました。小一時間くらいそんなやり取りをした後、「そこまで考えているなら会社にして、本腰を入れて研究してみなさい」といってライブドアのオフィスを使えるようにしてくださって、それで会社を立ち上げました。しかしご存知の通り、2006年1月17日にライブドアショックがあり弊社も大混乱に陥りました。商談していた会社からは「とにかくライブドアがらみはダメ」と言われ続ける。そこでライブドアから出資してもらった分の株式は私が買い取り、オフィスも六本木ヒルズから引っ越して、ライブドアとは関係のない状態にしました。しかし、それでも改めて営業にうかがおうとすると、「来てもらっては困る」とアポイントすらなかなか取れない日々でした。

――
ミドリムシを買わない本当の理由は、ミドリムシ以外のところにあったと。
出雲

理由はわかりませんが、とにかくダメでした。

――
それから2年間、約500社営業して一つも売れない状態が続いたのに、なぜミドリムシのビジネスをやめようとは思わなかったのですか。
出雲

やめるにやめられなかったんです。相手がミドリムシについて調べ、私が知らないマイナス面を指摘して「だからミドリムシは買いません」と言われたのなら仕方がありません。しかしミドリムシがダメな理由はどこにもないないわけで、まだ勝負すらしていない状況なのでやめるわけにはいかなかった。これだけたくさんの食料資源があるなかで、植物と動物の両方の力と栄養素、遺伝子を持っているのはミドリムシだけです。伝説の秘宝の地図ではないですが、20年以上前からミドリムシで世界の栄養失調と地球温暖化問題を解決できるといろいろな人たちが考えていた。でもただ培養ができなかっただけなのです。そんな状況ですので、ミドリムシの良さを理解してさえもらえれば絶対に喜ばれるだろう。栄養価が高く健康によいと素直に気付いてくれる人はゼロではないだろう。その思いだけで、ずっと続けていきました。そうこうするうちに2008年5月に伊藤忠商事に出資していただいたのをきっかけに多くの大企業から応援してもらえるようになり、軌道に乗ることができました。

起業はチームで行ったほうがいい理由とは

起業はチームで行ったほうがいい理由とは

――
現在までの道のりは非常に困難なものであったことがよくわかりました。それでも折れない出雲さんの気持ちの強さは、どこから湧いてくるものですか。
出雲

自分としては、それほど大変だったとは思っていません。私はたまたま20歳のときにミドリムシという全身全霊、人生を賭けられる対象と出会うことができました。ミドリムシに関することをやっているのが一番ピンとくるし、誰かにやらされているわけでもない。まったく苦にもなりませんでした。確かに生活は楽ではなかったし、大変そうな話はできます。2007年の後半は毎月の給料が10万円になり、いまどきの学生のほうがよほどいい生活をしている、とか(笑)。でもミドリムシの研究やビジネス化に取り組んでいるときは、正直大変だとは思いません。私は8月31日に夏休みの宿題をまとめてやるタイプで、細かい作業を日々コツコツ進めるのは苦手なのですが、ミドリムシに関しては粘り強いと人から言ってもらえます。それは本当に好きなことをやっているからであって、自分が粘り強いわけでも頑張っているわけでもないんですよね。

――
ミドリムシにこだわり続けた結果が、現在の状況につながったということですね。
出雲

結局、全部そうだと思うんです。小惑星探査機「はやぶさ」や国産飛行機YS-11、カップヌードル――。もともとの計画通り成功したなんて話はあまり聞いたことがありません。ただ、計画通りいかなくても好きだと人は勝手に粘ることができるんです。それを苦労とは思わないで。儲けようと思ってはじめたベンチャーは儲からないとやめてしまいますが、好きなものはやめません。そしてそれが本当に世の中にためになると信じるものであれば尚更です。

写真
――
出雲さんの経験から、これから起業を考えている方にアドバイスがあればお願いします。
出雲

ベンチャーを始めるのに一番大事だと私が思っているのは、1人ではなく仲間が必要ですよ、ということですね。できれば自分を含めて3人とか奇数のチームがいい。その理由は、好きだからやるベンチャーであっても結局、最初は絶対思った通りにいかないからです。大企業にベンチャーが唯一勝っているのは時間と柔軟性です。ベンチャーは時間を使ってトライアンドエラーを繰り返し、修正していく作業を柔軟にできます。しかしベンチャーのチームが2人や4人の偶数だと、何か判断に迷ったとき意見が真っ二つに割れてしまうとスピード感ある意思決定ができなくなります。もしくは「お前とはやっていられない」と分裂し、いずれにしても貴重な時間が失われてしまいます。しかし3人や5人の奇数なら自分の案が否定されても「多数決がそちらの案なら、まずそれをやってみよう。もしダメだったら俺の案を気持ちよくやってくれよ」となるんです。私も取締役研究開発担当の鈴木健吾、取締役マーケティング担当の福本拓元という3人のチームでスタートしました。

――
1人ではじめるのはよくありませんか。
出雲

1人は無謀だと思います。本当に辛いときに1人でセルフモチベートするのは、ほとんど不可能です。私が1年以上営業を続けて1社もミドリムシを買ってくれなくて、来月の給料が10万円になるようなときはさすがに「もうダメだ」と思うわけです。しかし他の2人が「明日、ミドリムシを買ってくれる会社があるかもしれないからもう少し頑張ってみよう」と言ってくれるので、もう1週間頑張ることができる。すると、面白いものでその1週間後には鈴木が「こんな研究は無理だ」と言い出し、私と福本が「もう少し頑張ってみようよ」と背中を支えることで研究を続けられるようになる。いくら私がミドリムシを好きだといっても、1年間足を棒にして営業し断られ続けたら、もう1社営業に行く気力なんて1人では出てきません。でも仲間と一緒なら続けていくことができる。私たちが伊藤忠商事の出資を受けられたのは奇跡だったと思いますが、世の中で奇跡を1人で起こしたという話はあまり聞いたことがありません。奇跡を起こすのはやはり同じ夢を追う仲間の力、チームの力によると思います。一番つらいときに励まし合える、という機能がチームにはあります。そういう意味でもベンチャーをはじめる場合は1人ではなく仲間で、できれば奇数のチームではじめると離陸の可能性が高まると思います。

――
なるほど、仲間がいてこその今、ということですね。
出雲

はい、素晴らしい仲間がいてこその今であり、これからです。本当に心から感謝しています。

構成: 宮内健
撮影: 上飯坂真

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

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インタビューを終えて

「自分は粘り強いわけでも頑張っているわけでもないんです。ここまでこれたのは本当に好きなことをやっているからなのです。たとえ計画通りいかなくても、人は好きだとそれを苦労と思わずに勝手に粘ることが出来るんですよ」。そう自然体で言い切る出雲さんの静かな迫力に思わず聞き入ってしまう自分がいました。出雲さんの、「地球を救う」というとてつもなく強い信念の根底にあったのは、とてもシンプルな「好き」という感情でした。 結果ばかりにこだわらず、結果ばかりを急がずに、本当に好きだと思えることを追求し続ける生き方こそが、苦難を苦難と思わずに生きていくための秘訣なのではないかと感じたインタビューでした。結果というものは、あくまでプロセスの継続とあくなき探求の先にあるものであり、そこに向かい続けるプロセスにこそ人生の醍醐味があるということ、のめり込む生き方の素晴らしさを学ばせて頂きました。

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