ハイクラス転職のクライス&カンパニー

リスクなんて意外と小さい。取らないほうが、リスクがある。

公開日:2014.12.25

「モノづくりの民主化」という独自のビジョンを掲げ、3Dプリンティングによるデジタル製造技術を駆使して、個人レベルでモノづくりのビジネスを興せる革新的なプラットフォームを展開している株式会社カブク。このベンチャーを立ち上げたのは、かつて博報堂に在籍していた稲田雅彦氏だ。起業に至るまで、稲田氏はどんな思いを抱き、そしてどんな決断を下してきたのだろうか。
稲田雅彦氏のプロフィール写真

稲田 雅彦 氏プロフィール

株式会社カブク / 代表取締役兼CEO

大阪府出身。2009年東京大学大学院修了(コンピュータサイエンス)。大学院にて人工知能の研究に従事。そのかたわら、人工知能や3Dインターフェースを用いた作品を発表し、メディアアート活動を行う。大学院修了とともに博報堂入社。入社当初から、さまざまな業種の新規事業開発、統合コミュニケーション戦略・クリエイティブ開発に携わる。カンヌ、アドフェスト、ロンドン広告祭、TIAAなど、受賞歴多数。2013年株式会社カブク設立。主な著書「3Dプリンター実用ガイド」など。

Message

志あるハイクラス転職を、クライスと クライス&カンパニー

Interview

若い頃、夢が破れた。だからこそ、社会のために価値あることがしたい。

――
稲田さんはどのような幼少時代を過ごされたのですか。
稲田

私は東大阪の出身です。東大阪はご存じの通り、小さな町工場が集積している「モノづくり」の街。そうした環境で育ったものから、おのずとモノづくりに興味が湧きましたし、自分のルーツですね。

――
大学ではエレクトロニクスを、大学院ではコンピュータサイエンスを専攻されたとのことですが、それもやはり「モノづくり」を志向していらっしゃったからなんですね。
稲田

確かに「モノづくり」への関心は高かったのですが、実は技術系に進むつもりはなかったんです。私は中学の頃から音楽に夢中になって、バンド活動に明け暮れていました。ギター、ベース、キーボード、ドラムとすべての楽器をマスターしましたし、将来も音楽で食べていきたいと。高校卒業後はぜひ海外の音大に進もうと考えていたのですが、留学に必要な奨学金を得ることができず、結局あきらめざるを得なくなった。想い描いていたビジョンが崩れてしまって、せめて音楽に関するモノづくりができればと、その時点で理系に転換して受験勉強を始めたのです。

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――
もともと音楽の世界を志していらっしゃったと。それは意外でした。
稲田

そうした経緯もあって工学部に進んだわけですが、一回自分のなかでは夢が破れてしまっているので、もう開き直って何でも取り組んでやろうと。学生時代はハードウェアからソフトウェアまで、あらゆるテクノロジーを貪りました。一方で、メディアアートにも興味を持ち、趣味でいろんな活動も行っていました。「コンピュータにアートはできるのか」をテーマに、人工知能に作曲させてDJをさせるというパフォーマンスを企画し、イギリスでライブをしたこともあります。そこであらためて認識したのは、エンジニアリングにもアートな発想が必要ですし、アートにもサイエンス的な思考は必要だということ。 結局、何をやってもすべてつながっているんだということを強く意識するようになり、それはいまでも自分の行動原理になっています。

――
将来、起業したいという考えは学生の頃からお持ちだったのでしょうか。
稲田

自分で何かを興したいという気持ちはありました。学生時代から個人的にいろんなプロダクトを製作しては披露していましたね。そこで友人たちから「そこに使っている回路が欲しい」とリクエストされることもあったのですが、2人3人ぐらいなら作ってあげられたものの、それが50人ともなると、もうさすがに無理。プロトタイプをひとつ作るのは簡単ですが、量産するのは個人ではやはり難しい。その頃から、個人がもっと簡単にモノづくりができて事業化できるような仕組みがあれば、という思いはありました。

――
その時の経験が、いま稲田さんが掲げている「モノづくりの民主化」につながっているわけですね。
稲田

ありきたりですが、学生時代、司馬遼太郎の本を読んで「世の中のために生きる潔さ」のようなものに惹かれたところがあって……自分自身の夢は結局かなわなかったので、どうせなら社会のために価値のあることをやろうと。そのことは、確かにカブクを起業する時に意識していましたね。

大企業に身を置くのも、起業するのも、あくまでも手段に過ぎない。

大企業に身を置くのも、起業するのも、あくまでも手段に過ぎない。

――
就職先として博報堂を選ばれたのはどうしてですか。
稲田

私のバックボーンはエンジニアですが、テクノロジーだけでは人に使ってはもらえない、と考えていました。当時ちょうど、ユーザーエクスぺリエンスという概念が注目され始め、私自身もユーザー側の立場からプロダクトやサービスをどう創ればいいのかを勉強したいという思いがありました。ユーザーエクスぺリエンスに優れた企業の代表格がAppleで、私自身もApple製品は好きでした。そのAppleのマウスを設計したアメリカ西海岸のデザイン会社IDEOとジョイントベンチャーを立ち上げていたのが博報堂で、そうした取り組みに興味を覚えてこちらを志望しました。

――
博報堂ではどのようなキャリアを積まれたのですか
稲田

CMの制作やキャンペーンの企画などのクリエイティブにも携わりましたし、マーケティングの戦略プランニングも手がけました。さらにはコンサルタントのような立ち位置で、クライアントの新規事業の立ち上げなどにも関わりました。その時は少数のチームで、私のような若手にもかなり裁量を持たせてくれました。立ち上げるのは前例のない事業ばかり。たとえば、あるクライアントでアプリを使った新規事業開発プロジェクトをリードすることになったのですが、まだアプリが登場したばかりの黎明期で、プロジェクトに関わる我々もクライアントもシステム会社も、誰も先が見通せない。案の定、大炎上してしまって、レンタル会議室を借りて2週間籠って収束させたことも。そんな絶体絶命のピンチに何度も襲われました(笑)。

――
稲田さんは、そうした難しい問題に直面した時、どうやって乗り越えられているのですか。
稲田

新しいものというのは、結局、もがき苦しむ中から生まれてくるのです。山登りと同じですね。目指す頂に向かう行程は、やはり苦しい。高揚するのは、頂上に到達して美しい景色が見えた瞬間だけ。だから、もがき苦しみながら走り続けるしかない。一方で、そうした状況を客観的に分析している自分もいて、そうしたバランス感で何とか乗り切ってきた感じですね。ものすごく冷静に、ものすごい勢いでダッシュしているような日々でした。

――
その博報堂に5年ほど勤められて、稲田さんはカブクを立ち上げられたわけですが、起業をご決断されたのは何か契機があったのでしょうか。
稲田

やりたいことが博報堂のような大企業に身を置くほうが実現できるチャンスが大きいなら、そのままそこにいればいい。事業の立ち上げなどもいくつか経験してきたので、社内ベンチャーのような形でやりたいことをやるという選択肢もありました。が、敢えて起業したのは、足立(昌彦氏:現株式会社カブク取締役CTO)をはじめとする優秀な仲間と出会え、「モノづくりの民主化」を叶えるためのアイデアが固まり、そしてこれは自分たちでやったほうが早いだろうと。あと、博報堂でのビジネスを通じて知り合った先輩起業家の方が何人かいらっしゃって、そうしたみなさんの言葉にも影響を受けました。

優秀な人材がほんの少しのリスクを取ろうとしないのは、もったいない。

優秀な人材がほんの少しのリスクを取ろうとしないのは、もったいない。

――
先輩起業家の方々から、稲田さんはどのようなアドバイスをいただいたのですか。
稲田

ある先輩がおっしゃった言葉で印象に残っているのは、『僕らにはリスクはないんだよ』と。ベンチャーを興して失敗しても、命まで取られるわけじゃない。ITのサービスなどそれほど借金を背負わなくても立ち上げられるし、万が一失敗してしまったら、また就職すればいい。そもそもそこで就職もできないような人間は起業なんてしないだろうから、そう考えるとリスクはないんだよと。

――
稲田さんは「モノづくりの民主化」を謳われてこのカブクを設立されたのとのことですが、現在、具体的にどのような事業を展開されているのでしょう。
稲田

主な事業としては、“rinkak(リンカク)”という、3Dプリンティング技術を使ったモノづくりのプラットフォームサービスを展開しています。個人と法人のどちらも対象としたサービスで、誰でもものづくりができるツール提供から、3Dデータをアップロードすれば、製造から販売、発送までをこのプラットフォームの上で行うことができます。これまでは、クリエイターが何かモノを作ろうと思うと、商品化するには金型を発注し、生産設備を手配しなければならず、かなりの初期投資が必要でした。しかし3Dプリンティング技術を駆使すれば、そうしたハードルを一気にクリアできる。文字通り、誰でも簡単にモノづくりのビジネスができる場です。

――
これまで多額の投資が必要だったモノづくりのビジネスが、個人でも可能になるのですね。たいへん意義のある取り組みだと思います。さきほど、稲田さんは難題に立ち向かうことを「山登り」に例えていらっしゃいましたが、いまも同じお気持ちですか。
稲田

そうですね。まだまだ道半ばで這いながら登っているような状態です。合間に一瞬、美しい景色は見えるんですが…(笑)。頂上はまだまだはるか先ですね。

――
登頂した時、そこには何が待っているのでしょう。
稲田

「モノづくりの民主化」が真に達成されて、私たちが築いたプラットフォームから未来の松下幸之助さんや盛田昭夫さんが生まれてくれば、こんなにうれしいことはありません。

写真
――
では最後に、ご自身と同じ年代の方々にメッセージをお願いします。
稲田

リスクを取ってチャレンジを図ってしかるべきと思われる人材なのに、リスクを取らずに無為に過ごしている優秀な方々がたくさんいらっしゃいます。たとえば起業するにしても、みなさんが考えているよりも実はリスクははるかに小さいと感じています。もちろんご利用は計画的に、最終リスクをとるかどうはご本人次第です。最後は実際に起業して私も、リスクを取らない人生のほうが、リスクが大きいと、そうリアルに実感します。優秀な人材が、ほんの少しのリスクを取ろうとしないのは本当にもったいない。より活発に一歩踏み出す人が増える。そんな世の中になると素晴らしいなと考えています。

構成: 山下和彦
撮影: 上飯坂真

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

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インタビューを終えて

音楽の道で生きていきたいという夢に破れた学生時代。稲田さんは、腐るのではなく逆に開き直り、「何にでも取り組んでやろう」とハードウェアからソフトウェアを貪るように学び、人工知能からメディアアートにまで取り組まれたといいます。 また、そうするうちにそれぞれの活動が有機的に繋がり合い、新しい体験を稲田さん自身にもたらしていきました。そして、そのような経験を通じて「全ては繋がっている」そんな境地に至ったとのことでした。そしてその繋がりは社会に出た後、ご自身のルーツである「モノづくり」にまで繋がっていきました。 腐っている暇があるなら、色々なことにのめりこんでみる。夢破れた瞬間にどう考えて、どう行動するか、言うがやすしですがこの切り替えは本当に難しいと思います。まさにここに稲田さんの人生のターニングポイントであったと感じました。 「リスクなんて意外に小さいんですよ」、と冷静に歩を進める稲田さんが今後実現していく世界は、きっと色々なものが繋がりあう、未だ見ぬ世界であるのだろうという期待が高まるインタビューでした。ありがとうございました。

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