ハイクラス転職のクライス&カンパニー

自分が幸福であり続ける最良の手段は、 周りの人を幸福にし続けることだ。

公開日:2024.07.23

ミャンマー、カンボジア、ラオスなどの途上国への医療支援を行う認定NPO法人として、内外から高い評価を得ているジャパンハート。その創設者であり、その活躍ぶりがメディア等でもたびたび紹介されている𠮷岡秀人氏に、現在に至るまでの軌跡やターニングポイント、さらにビジネスパーソンのキャリア形成にも活きるご自身の考えや思いについてお話を伺った。
𠮷岡秀人氏のプロフィール写真

𠮷岡 秀人 氏プロフィール

特定非営利活動法人ジャパンハート / 特定非営利活動法人ジャパンハート最高顧問/創設者/小児外科医/東北大学特任教授(客員)

1965年大阪生まれ。大分医科大学卒業(現大分大学医学部) 。大阪、神奈川の救急病院等で勤務。1995年、単身ミャンマーへ渡り医療支援活動を開始し、2004年に国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」を設立。その後、カンボジア・ラオス・日本でも様々なプロジェクトを展開。これらの活動に注目され、『情熱大陸』(毎日放送)には3度出演。2021年「第69回菊池寛賞」受賞。

Message

志あるハイクラス転職を、クライスと クライス&カンパニー

Interview

歳をとればとるほど、人は幸せにならなければいけない。

丸山
𠮷岡さんが医師を志されたきっかけを教えていただけますか。
𠮷岡

私は高校時代まったく勉強していなくて、10代の終わりに大きな挫折を味わっているんです。大学進学を希望していたのですが、高校の進路指導の先生も匙を投げたぐらいで(笑)、結局浪人することになって……当時の日本って、とりあえず良い大学に入って良い会社に就職すれば、物質的にも精神的にも豊かになれると教育されていたんですよね。私もその護送船団に乗っていたのですが、いきなりそこから降ろされてしまった。何も考えないで社会のルールに従い、成功モデルに倣えと教えられてきたのに、そこから外れてしまうと何をしていいのかわからない。これはいまの日本の教育の問題にも通じるのですが、教育の本来の目的って「自分はどうやって生きるのか」を教えることだと思うんですね。私は大きく躓いたことで、自分の人生について考えざるをえない機会を得て、では何をやりたいのかと思いを巡らせると、恵まれていない人たちの役に立ちたいと。私が生まれ育った地域は、まだまだ貧しい暮らしをされている方々がたくさんいて、子供心に助けてあげたいなとずっと心に秘めていたんですね。そして、それを果たすためにはどんな職業に就くべきなのかと考えた時、たどりついた答えが医者だったんです。きっといまならインターネットで情報を収集し、いろんな選択肢の中から選べたと思うんですね。でもその頃はまったく情報がなくて、自分のやりたいことと唯一結びついた仕事が医者だった。だから、必ず医者になろうと二浪して何とか医学部に進んだんです。そして30歳の時にミャンマーに渡り、途上国での医療支援に携わるなかでジャパンハートを起ち上げました。

丸山
確かにおっしゃる通り、若いうちから「自分の人生は自分で決める」という意識を強く持つことは大切だと思います。
𠮷岡

ええ。それを教育の現場では常に問いかけるべきですし、教師から与えられたモデルをなぞって生きている限りは、いつまでたっても自分の人生は始まらず、幸せにはなれないと思っています。あと、私自身が歳を取って感じるのは、美味しいものを食べたり、あるいは欲しい物を手に入れて贅沢するのは、もういいかなと。特に50歳を過ぎてそうした贅沢を追い求めるのは愚かなことで、若い時と同じものを食べても美味しくは感じないし、若い時に快かったことにも喜びを感じなくなる。これは最近私がよく言っているのですが、幸せというのは体感値で、かつて幸せだったからと言って、その感覚のままずっと幸せに思えるかといえば、必ずしもそうではない。やはりいまが豊かでないと、人間は幸せを感じないんですよ。だから、歳をとって幸せに対する感度が鈍っていくなかで、自分の幸福値を上げていくためには、若い時よりもさらに幸せにならなければならない。そして、人間は本来、歳をとるほど幸せになるべきだと思っていて、そうでなければ自分の人生自体を肯定できなくなる。人生の後半になればなるほど幸福度を上げなければと気づき、自分がやりたいこと、正しいと思うことをもっと自由にやろうと思い始めたんですね。

丸山
50歳を過ぎてから、どんな生き方を志向するようになられたのでしょうか。
𠮷岡

リターンを期待しない生き方でしょうか。我々が医療を提供しているミャンマーやカンボジア、ラオスなどは仏教国で、陰徳を積むことに非常に価値があるんですね。誰にも気づかれず、誰にも礼も言われずに善行を施すことが、実は最も本人を潤す方法だと。ですから、いま私は手術後に前に出ないようにしており、患者さんからお礼を言われるのは若いスタッフたちなんです。私としては、患者さんが元気になった姿を遠くから見るだけでいい。すでに私はこれまでたくさんのお礼の言葉をいただいてきたので、そこで自分の価値が揺らぐようなことはないですし、そうして陰徳を積むことのほうが豊かな気持ちになれる。人が抱える豊かさって、周囲にこぼれるんですね。私のところで溢れた豊かさが周りに及んで、私に関わっている人たちが尊敬されて感謝される。これまで、人を助けたいと思ってひたすら力を尽くしてきましたが、いま振り返ると、それは実は自分の人生を大切にする営みで、気がつけば自分がいちばん豊かになっていたという感じでしょうか。

丸山
𠮷岡先生は、ご著書の中で「最も世の中を幸せにした人が最も幸せになれる」とおっしゃっていて、私にもすごく刺さったのですが、まさにいまお話いただいた通りですね。
𠮷岡

もちろん、本当は自分が幸せになるためにやっているんですよ。しかし、悟りと一緒で、悟りたいと思ったら悟れない。悟りというのは欲求から解放された状態であり、それと同じことが起こるんです。自分が豊かになりたいと思った瞬間に、本当の豊かさを見失ってしまう。豊かさは贅沢することだと勘違いして、美味しいものを食べ続けて病気になったり、欲しい物をどんどん買って虚無を味わったりする。豊かになりたいというのは自分のエゴですが、そのエゴが働き過ぎると豊かになれないんですね。だから、何をしなければならないかと言うと、自分が豊かになりたいと思うことでなくて、人を豊かにしたいという行為をすべき。まったく逆のアプローチなんですね。それを私は意図せずにやってきた。圧倒的に私より不幸な人たちが目の前に現れるから、そんな状況のなかで自分が豊かになりたいなど、これっぽっちも思うことができなかった。ただひたすら彼らを少しでも助けたいという思いで続けてきて、結果、何十年経ってこうなったというだけなんです。だから、自分が本当に幸せになりたければ、逆説的ですけど人を幸せにする以外、方法はない。それは誰にでもできることで、極意も何もないんです。

極限状態を経て、考え方を変えたことで組織は軌道に乗った。

極限状態を経て、考え方を変えたことで組織は軌道に乗った。

丸山
ジャパンハートという組織を運営する上で、何か苦労されたことはございますか。
𠮷岡

最初は組織を大きくする気はなかったんです。ただひたすらに、途上国で自分を頼ってくれる患者さんを治していくことに人生を捧げたいと思っていたのですが、そのうち患者は増え続け、一人では応対できなくなって仲間を集めなければならない状況になり、資金も必要になってきた。それでジャパンハートを起ち上げたのですが、私のマインドは変わることなく、自分自身に求めるような厳しさで周りのスタッフに接していたんです。これは組織運営上でありがちなことだと思いますが、価値観の違う人たちに自分の内にある強い想いをぶつけても、うまくいくわけがない。でも当時はそのことに気づかなくて、ずっと厳しい姿勢で接していた。患者さんの命に直結するミスがあってはならないとスタッフを怒り続けていて、患者さんのためにという大義名分はあるにしても、次第にスタッフが委縮してみな不幸そうな表情になっていった。過酷な環境下での医療ミスはどうしても発生するもので、怒り散らしても結果が覆るわけではない。そこからは怒りを飲み込むようにして、医療ミスを防ぐためにスタッフがいまどんな感情を抱いているのかを理解したい、無意識のうちに彼らと繋がれるようになりたいと思ったんです。人の心を読もうと瞑想を続け、一カ月絶食して修行僧のような真似をしたことも。すると感覚がとても鋭くなって、手術の精度も上がりましたし、スタッフたちの意識も掴めるようになってきた。ただ、あまりに現実社会から隔絶しすぎて、その感覚で組織を支配するのはやはり拙いと考えるようになって止めました。それでまた精神世界から現実社会に戻ってきたわけですが、そうした極限状態も体験しています。

丸山
組織が崩壊するような危機にも直面されたのでしょうか。
𠮷岡

最初の頃はとにかく厳しかったものですから、やはり離反していく人もたくさんいました。でも、先ほどお話ししたように私が解脱状態から世俗に戻ってきてから、また人が集まり始めた。こうしていま組織が少しずつ成長しているのは、私の妥協の産物です。

丸山
現在のジャパンハートがあるのは、ご自身が妥協したおかげだとおっしゃるのですね。
𠮷岡

ええ。私の感覚としてはすべて妥協です。でも、妥協しても不幸になっていませんし、現地で関わる人々からいつも良くしていただき、その方々にとって私は大切な存在で、自分の周囲にいる仲間たちも幸せになっていると感じているので、おそらく方向性としては間違っていないと思っています。

丸山
いまは理想に向けて組織全体が進んでいる実感をお持ちでいらっしゃるわけですね。
𠮷岡

私自身が考え方を変えたことが、やはりジャパンハートにとってのターニングポイントなのかもしれません。私のやりたいことは患者さんを健康にすることでしたが、それを達成するために、ともに働く人たちを蔑ろにしてしまった。それは明らかに不自然な状態。水面に石を投げた時、内から外へ同心円状に波が広がりますが、組織も同じだと思ったんです。中心にいる私の幸福が周りに伝播しなければ、持続性も何もあったものではない。だから、私はこれまでずっと患者さんを幸せにするために医療に取り組んできましたが、いまはちょっと意識が変わって、周りのスタッフも同じように幸せにしたいという気持ちが強くなってきた。そして彼らが私に代わって患者さんを幸せにしてほしいと。いまは周りのスタッフを大切にすることに余念がなく、それも先ほどお話しした通り、人生の後半になればなるほど幸せにならなければという信念が私にはあるので、彼らの人生をトータルで見て「その人にとって何がいちばん幸福なのか」を深く考えて接するように努めています。

お金はあくまでも必要条件。十分条件を何で達成するかが大切。

お金はあくまでも必要条件。十分条件を何で達成するかが大切。

丸山
先ほど𠮷岡先生は「人生の後半になればなるほど幸せにならなければいけない」とおっしゃられましたが、ご自身はジャパンハートの運営も含めて、この先の人生をどのように歩みたいとお考えですか。
𠮷岡

正直、まったくわからないですね。当初はこんな組織を作るつもりなど毛頭なかったのですが、山登りみたいなもので、地上からは林に見えていたものが、500m1000mと登って見下ろすと森に変わっていて、さらに2000m3000mまで登れば緑の大きな塊になっている。それぞれの高さから見える景色があって、その範囲が広がると自分ができることも広がるという認識。ただ、登れば上るほど酸素が薄くなって、そこで行動するのがきつくなっていく。でも、いままで見たことのない景色を目にしたいと登り続けていく感じでしょうか。登った先で自分がやったことが景色の一部になり、それを積み重ねて最後に見た景色がまさに自分の人生の終着点になる。絶景にたどり着くために、たとえしんどい作業であっても登り続けていきたいと思っています。

丸山
𠮷岡先生がお考えになられる「人生の豊かさ」とは、あらためてどういうものなのでしょうか。そこには、やはり経済的な豊かさも含まれるしょうか。
𠮷岡

私自身は、お金に対するこだわりはありません。ジャパンハートの活動から報酬はもらっていませんし、ずっとゼロ。スタート当初は、日本で小児科医を務めていた時の貯えから身銭を切って活動していましたし、ジャパンハートが軌道に乗ってからは寄附などでスタッフの給料をまかなえるようになり、最近では講演会や自著の出版で最低限の収入を得られるようになりました。別にお金が嫌いなわけではありませんし、もちろん大切だと思っていますが、もし私が1億円の収入があったとしても、1億円稼ぐ人なんて日本に結構いるじゃないですか。たとえば、土地を売るだけで10億収益を上げている人もいる。お金を基準にすると、自分のやっている途上国支援はそれ以下の価値しかないのかと思ってしまうわけで、ならばお金を物差しにすることはやめようと。では、何を報酬にするのかと言うと、自分と関わった方々からの感謝の言葉だったり、そうした方々から提供していただける貴重な体験だったり、たぶんお金では換算できないことなのかなと思っています。

丸山
そうはいっても、普通の人はお金への執着を捨てきれないように思います。
𠮷岡

お金にこだわる生き方を否定するつもりはありませんが、もしその執着から脱したいとお思いなら、ひとつアドバイスできることがあります。私はお金に対する恐怖心が普通の人より少ないのですが、その理由はおそらく「年間いくらあれば生きていけるのか」を自覚しているから。世の中のビジネスパースンの方々は、どうすれば年収をアップできるのかと上ばかり見ています。でも実は、下を知ることがすごく大切。自分が生活できる最低限の収入を知っていれば、いざとなればそこに身を置けばいい。たとえば、年収1億円の人が5000万になったら、やはりパニックに陥って加速度的に落ちていく怖さを感じるでしょうが、でも自分が乗っているのは飛行機ではなくジェットコースターであり、必ず地上10mで止まる。みなさん、年収が落ちていくと、落下する飛行機に乗っているような感覚になりがちですが、自分が生きられる下限がわかっていると、ジェットコースターに乗っている感覚になって、落下も楽しめるようになるんです。私はこれまでの経験からそれを身をもって理解しているので、お金に対する恐怖がないんですね。

丸山
いまのお話も踏まえて、今後、有意義なキャリアを得るために悩まれている読者の方々に向けてメッセージをいただけますでしょうか。
𠮷岡

お金はあくまでも必要条件であり、十分条件を何で達成するかが、自分の人生を豊かにする上では重要だと思うんです。そのためには、いろんな人としっかり繋がることが大切。私は、真の満足というのは人と人との関係性の中でしか得られないと思っていて、それを常に意識すべきではないでしょうか。そして、先ほどもお話ししましたように、人生というのは後半になればなるほど幸せでならなければいけない。若い時にどんな苦労をしても、歳をとって幸せなほうがいい。逆は悲惨になる。ですから、人生というマラソンで、90年100年にわたって最高の走りをしたと思えるような生き方をしてほしい。後半になるに従って人生がエキサイティングになり、しっかり一歩一歩踏みしめながら、喜びに満ちてゴールを切るというイメージを持って生きてほしいですね。そのために、いまどんな行動をとるのが最良なのかを考えるべきで、ときにはお金に恵まれない方向に進んだほうがいいケースもあると思います。常に長い目で人生を捉えて生きてほしいですね。

構成: 山下和彦
撮影: 波多野匠

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

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